弥生 三月

 

1B

第一部~その夜の前日、平安時代通い婚の思い出

 

春を迎(むか)ふるほど、花、梅、花桜どもあまた開(ひら)けたるあるやういとめでたしと思はるれど、さりとも心細うて、内(うち)の寒さなほゆるびもて行かざりぬる、誠に侘(わ)びしと待ち侘びたり。かからで、暖けきよすがも御座(おは)しまし合はむものをと、願はむ事の叶はぬ、いみじうあいなくぞ覚えたる。

 

◆思(おも)ふ人 涙降りつつ 訪(と)ふを待ち 花も恋しも 咲かぬをりにや

【現代語訳】

平安女流作家の私から。春を迎えるこの時季に、花々や梅、桜などが沢山咲いている様子を心より喜ばしいと思います。それにしても物寂しくて、心の寒さが緩んでまだ融けきっていかないので、本当に興醒めでがっかりの心持ちがして、待ちくたびれています。

こんな風でない、暖かく身を寄せる所、それはあなたの事もそのうちお越しになるのだからと、今は願いの通りにならないのは、ひどくつまらないと感じられるのです。

◆あなたをひたすら思い、涙まで流し流し、あなたが訪ねて来るのを待っています。けれども、心の花に加えて恋の花までもが、まだ咲かない時なのでしょうか。

【参考】

・御座しまし合ふ~いらっしゃる、おいでになる。「行く」「来(く)」の尊敬語。

・ゆるびもて行かざりぬる~「動詞の連用形+もて行く(=次第に、段々…になる)」+打消の助動詞「ず」の補助活用連用形「ざり」+完了の助動詞「ぬ」連体形「ぬる」。寒さがまだ次第に緩んでいかないのは。

◆咲かぬをりにや~咲かぬをりにやあらむ、と補う。係助詞「や」は疑問。

2B

第二部~その夜を越しての明け方、平安時代通い婚の思い出

 

千種(ちぐさ)なる心ならひにはべりやしぬらむ、と問ひしものの返(かへ)り事たまはぬままに、打ち伏しまどろみつつ一夜(ひとよ)過ぐしぬ。 暁方(あかつきがた) に驚きてなほ聞かばやと思へるに、吾(あ)が下がり端(ば)、なまめかしう掻(か)き遣りたまへる御(おほん)手に、吾(あ)がため懸想(けさう)じたる内(うち) を見しやも、さやはべらむと休らひけり。

 

◆千種なる 心ならひや 下がり端を 掻き遣りたまへど さや揺蕩(たゆた)ひぬ

【現代語訳】

いろいろと移り気のお気持ちになってしまったのでしょうか、ってお伺いしたのです。が、そのままお返事下さらないのに任せて、私はひどく伏せってしまい、まどろみをしつつ、あなたとの一夜が過ぎていきました。

夜明けの暗い時分に、はっと目を覚まし、それでもお返事が聞きたいと思っていますと、私の垂れ髪を上品に優しく掻き撫でてくださったそのお手つきに、私への深いお心の内を見たのかしら、と思いました。でも、本当にそうなのかしらと、心乱れる私はためらってしまったのです。 

◆いろいろと気心が多くって、移り気におなりなのでしょうか、とお伺いしてみました。お応えがないままに、明け方に私の垂れ髪を優しく上品に掻き撫でてくださいましたけれど、私への本心なの? とまた意外に感じてしまい、心揺れ動いている私なのです。

【参考】

懸想ず=サ変動詞。恋い慕い、思いを寄せる事。