3B

第三部~又の朝(あした)、後朝(きぬぎぬ)の別れの後で、平安時代通い婚の思い出

 

あな、既に暁(あかつき)になりやしぬらむばかりに、わが黒髪掻(か)い遣りし人なれば、一夜(ひとよ)のなごりいみじう心細さ絶へず。

辺(わた) りの霧晴れぬ先に、この今帰(かへ)り出(い)でたまはむとて、内(うち)よりものしたまふ御(おほん)有るやう見遣りつつ、ほど経(ふ)れば、言ひに遣りし、

 

◆なりぬらむ またの日来(こ)むと 言ひし君 さにあらまほし 待つ身ぞ憂きは

◆袖ぬるる 朝月夜(あさづくよ)とは 知りながら なほ待つべしや 夕月夜(ゆふづくよ)の衣(きぬ)

 

御返(おんかへ)りとて、玉鬘(たまかづら)添へたまひし、

◆又の日の 入相(いりあひ)来(こ)むと 掻(か)い撫(な)でぬ 徒(あだ)なる逢ふ瀬 さやはべりしと

◆なほ頼め 恋の通ひ路 朝宵(よひ)に 永らふべきは え絶えぬ契り

 

今一度(ひとたび)返(かへ)しし、

◆玉鬘 這(は)へてしはべる 前世(さきよ)にも 御(おほん)契りに しかじ深きは

【現代語訳】

あら、もう明け方になったのでしょうか、というぐらいの時に、私のこの黒髪を優しく手で掻き分けてくださった人ですから、その夜の名残の心細さといったら申し上げられないほどです。

「この辺りの霧が晴れないうちに、今もう帰るから」と仰います。お部屋からお出になるお姿を私はしきりに何度も見送って、それから時も経ったので、使いの者に遣らせた歌は、

◆今は明け方になったのでしょうか、また明日来るからと言ったあなた。そのようにあってほしいと、この待つ身は心から辛いと思うばかりなのです。

◆衣の袖が涙で満ちる朝月夜が来ると知りながら、それでも待たなければいけないのでしょうか。夕月夜の衣をまた用意しながら。

その返歌として、契りが長く延びるという、玉鬘の葉を付けなさり、

◆また次の日の夕間暮れには来るからと、君の髪を優しく撫でた今朝の事は確かに覚えているよ。今までにそう言って会わなかった逢瀬というものがあっただろうか(そんな事はないだろう)、必ず今夜もまた行くよ。

◆だから今までと同じように当てにしていてほしい。僕が通うあなたの所への路は朝も夜もいつもあるものだと信じているし、いつまでも続くに違いない、それは尽きる事のない、玉鬘のような僕達の夫婦(めおと)の縁(えにし)なのだから。

それで私は、もう一度返しました。

◆この世に生まれる先の前世の頃からの深い宿縁だったのですね、この私達の契りこそは。
私達の縁の深さには、及ぶものなどない事でしょう。

【参考】

◆さに~副詞「さ」+断定の助動詞「なり」の連用形「に」。

◆なほ頼め~頼みに思わせる、の意味の下二段他動詞「頼む」。長月の章、⑦及び、霜月の章、 ①を参照。

◆玉鬘=伸びるつる草を褒め称えた言葉、または本歌のように「這ふ」「長し」の枕詞。

◆しかじ~四段動詞「しく(及く、如く、若く)」の未然形「しか」+打消推量の助動詞「じ」。

4C

弥生、中の十日(とをか)の頃ほひ、淡(あは)き梅の立ち枝、碧(あを)に溶き渡りつつ、我が宿がほになほここら咲きいづるばかりに見ゆる、いと艶(えん)なるこそ言はむ方なけれ。

 

◆碧に溶き あはき立ち枝の 艶なりて 我が宿がほに あまた咲きいづ

【現代語訳】

この三月の中頃、薄いほどに美しい白梅(しらうめ)の立ち枝が、碧い空にどこまでも溶け込んでいきます。

まるでそこが自分の家のように、一層沢山咲きだしている感じに見えます。心ゆくまで艶やかで味わい深いのは、言葉には尽くせません。

◆青空に溶け込んでいくような淡いお色目の梅の立枝が、あまりに艶やかなので、まるで自分の住む家でもあるかのように、沢山咲きだして見えます。

【参考】

・ここら(そこら)~沢山等の数量が多い、非常に等の程度が極端な様子を表す副詞。現今の代名詞の意味(その辺り、この近辺)とは異なる。第五句の「あまた」と同じ。

◆艶なりて~艶なり、は華やかに洗練されて美しい様子の事。艶やかで美しい、優美である。

但し、元が漢語であるため、平安時代では和歌には用いられず、源氏物語では、楽器の音色や空、人の気分や様子等に多用された。本創作では「いと艶なるこそ…」の詞書きで立ち枝について用い、更に「艶なり」の語感を味わえるよう、和歌でも表した。「て」は、「…な様子で」等、状態を表す接続助詞。