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「思ふべしや。第一ならずはいかに思ふ」と問はせたまふに、

 

◆第一の 人(君)に思はるる そは一に さに思(おぼ)すべし 人は第一

【現代語訳】

「可愛がろうかしら、どうしよう。もしも私(中宮定子)があなた(清少納言)を一番可愛い大事な人と思わなかったら、あなたはどう思う?」と、お問いあそばしになるので、

◆第一番に尊い中宮定子様からは、有り難い九品蓮台(くほんれんだい)に乗る以上に、それはもう第一番に可愛がられている自分だと私は思っています。中宮定子様も同じように、私の事を第一だとお思いになられているに違いありません、と私はいつも思っています。本当にもったいないことです。

【参考】

・清少納言の本音を本書作者が創作。深く心が通い合い、強い信頼に裏付けられた主従関係の清少納言と中宮定子。鑑賞は、『枕草子』第百一段「御(おほん)かたがた、君達(きんだち)、うへびと」。

・「思ふべしや……いかに思ふ」~初めの「思ふ」の主語は中宮定子、末尾の「思ふ」の主語は清少納言。

・第一~殊の外、とりわけ一番に、最上級として。

・問はせたまふ~お問いあそばしになる。「せたまふ」は最高待遇の二重敬語であり、清少納言から中宮定子に対しての敬慕。尊敬の助動詞「す」の連用形「せ」+尊敬の補助動詞「たまふ」の終止形「たまふ」。

◆初句の「人(君)」は中宮定子、第五句の「人」は清少納言を指す。

◆思はるる~「るる」は、受身の助動詞「る」の連体形。中宮様から大切に思われる事、それは…、と第三句に続く。

◆九品蓮台(くほんれんだい)~極楽浄土にある、九種類の蓮の葉形の台。

◆さに思すべし~そのようにお思いになられる。字数合わせのため、「思し召す」ではなく、「思す」。「思し召す」の方が敬度は高いが、「思す」が天皇に使われた平安時代の用例もある。「べし」は当然の推量で、「…に違いない」の意味。

・世に知られる通り、清少納言は、名歌人で実父である清原元輔(きよはらのもとすけ)の名を汚さぬよう遠慮して、この段と同様、枕草子での歌詠みは殆どしていない。
 

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