レベルアップしていくうちに、メンバーが次々と離脱していった。目的もない、単に音楽愛好家の集まりでは、空中分解もやむを得ない。それでも続けたいというメンバーだけで再結成。演奏会での発表を目標としたアンサンブル集団ができた。
クラリネットは一人で吹く時はいいのだが、他の楽器と合わせると問題がある。「移調楽器」といって、そのままの楽譜は使えない。移調した楽譜が必要である。そのために音楽編集ソフトを買って、楽器に合った楽譜を作る作業も私の仕事となった。アレンジは夫が担当した。
グループ名は、何回か変わることとなったが、最終的に「Yアンサンブル」に定着した。私たち夫婦が愛するオーストラリアのシンボルは、コアラ。そのコアラの大好物がユーカリ。
そこからの命名で後にボランティア活動でいろいろなところで演奏するようになったが、市民の皆さんから親しまれる存在に育っていった。
自分たちのための演奏から、他人(ひと)のための演奏に切り替えたのは、夫の強い希望と意思があったからである。ボランティアで「音楽と笑顔を届けること」は、その後私たち夫婦の生きがいとなっていった。
場数は踏んでいたが、私のクラリネットはなかなか上手くならなかった。ある時意を決して、個人レッスンの門を叩いた。ドイツ留学の経験を持つ男の先生は、私の子どもといっていいくらいの年齢だった。自分勝手な独学でついた悪い癖を、根気よく指摘しながら、教えてくださる。
途中一定期間のブランクはあるが、個人レッスンに通う期間は、一度もお休みをしたことがないというのが私の自慢である。