プロローグ―「細くて長い形の文化」をめぐる旅の始まり
私は、繊維材料の研究に長年携わってきて、繊維材料から作られる衣服や道具に強い関心を持ってきた。
一九九一年九月二五日、エッツィ発見の衝撃のニュースが世界中を駆け巡った日のことを私は鮮烈に覚えている。私は、五三〇〇年前に実際に生活していた人を何としてもこの目で見たいと思った。
エッツィの身につけていた衣装、エッツィの持っていた道具のとりこになったのである。
エッツィの身の回り品
アルプス山麓のきびしい風雨から身を守るために、エッツィはマントで身体を覆っていた。マントの残存物が展示されている。
全長九〇cmほどの膝まで届くマントは、縄を編んで作られている。縄は草の繊維からできているらしい。
このマントは着脱が容易で、休憩の時は脱いで敷物にしたり、寝る時は上に掛けたと思われる。
さらに、エッツィは完成間近の弓と十四本の矢、矢を入れる矢筒、銅の刃がついた木製の斧、鞘の付いた石の短剣、材木で骨格を作った背負い籠なども身につけていた。
上着は、なめされた毛皮の細片を、動物の腱を撚った糸で縫い合わせて作られている。ストッキングのようなズボンも、毛皮の細片を上着と同じ糸で縫い合わされて作られている。
さらに、革製の靴底を革製の紐でつなぎ、足に固定する靴を履いていた。毛皮の帽子にもあご紐が付いていた。エッツィの身体を包んでいた衣服に繊維材料が大活躍だった。
エッツィの身の回り品にも、繊維材料が沢山使われている。銅刃がついた長さ約六〇cmの木斧や腰につけていた石刃の短剣には、刃と木柄を固定するのに樹皮の紐が使われている。
木の棒と木板で骨格を作った背負い籠の付近から多くの縄が見つかり、籠の外郭に使われていたと考えられている。
展示品を一つひとつ丹念に見ていて、エッツィの最後の日の衣服や身の回り品を作るのに、繊維材料がいかに不可欠な材料であったかを改めて認識できた次第である。