あわら温泉物語
平成二十六年二月、小雪の降る日。越前水仙が清々しい香りを漂わせる中、あわら温泉旅館組合の会議室では「女将の会」が開催されており、茜屋の女将知世もその一員として出席していた。
この「女将の会」は、それまで町ですれ違えば会釈をする程度だった女将同士が、「一度一緒にランチでも食べようか」と集まったのが切っ掛けで、旅館組合青年部の内部グループ「若草会」として平成四年に発足。
その後、平成九年に起きたロシアタンカー「ナホトカ号」座礁事故で、三国海岸が重油で汚染された時に駆け付けたボランティアたちに、女将が揃ってお礼回りをしたことから対外的活動が始まった。
そして平成二十五年に、正式に「女将の会」として発会して今日に至っている。女将という超多忙な仕事の中でも、あわら温泉の新たな魅力を創り出すために考え、行動するという貴重な組織へと成長していた。
「今日は、県から勧められているオリジナルの地酒を本会で開発して全旅館共通で販売しよう、という提案について、いよいよ結論を出そうと思います」
会長の杉屋の女将、江藤雅子が呈した議題に、女将たちから積極的な声が上がる。
「九頭竜川パイプラインも完成したことで用水も冷たくなって、酒米の山田錦が作れるようになったから大きなチャンスよね」
「せっかく十三人全員が利き酒師の資格を取ったんですから、それを生かすためにも思い切って挑戦すべきだと思います」
それらの発言を受けて知世は、さらに踏み込んだアイディアを出した。