あわら温泉物語

人は悲しい時には青が見えなくなり、青空も灰色に見えるという。だが、この日の晴れ上がった空は悲しすぎるくらい青かった。

乾燥した空気の中、旅館の屋根から白い煙が上がり始めると、あちこちからパチパチという音が鳴りだす。

今度はキナ臭くヌメっとした生温(ぬる)い風が流れてきて、それがやがて微妙な辛味のある熱風へと変わり、あっという間に真っ赤な火の手が一気に屋根にも駆け上がった。

そして、火炎は飢えた野獣のごとく貪欲に燃える物全てを吞み込んで、猛り狂いながら見る見る燃え広がっていった。北陸は福井の「あわら温泉」は、灌漑用の井戸を掘っていたところ、明治十六年九月九日に突然お湯が噴出したのが始まりである。

最初は堀江十楽という集落から湧き出て、次に田中々、そして二面、舟津へと泉源が広がっていき、明治十九年には泉源の数が七十六本にまで増えて日本一を誇る数となった。

明治四十四年には、温泉客を輸送するために国鉄三国芦原線が開通して大正時代にその名が広がり、昭和三年に京福電鉄三国芦原線が開通。

「永平寺の精進落としの湯」として旅館の数も増え、福井の繊維産業の発展も追い風となり、その頃には「関西の奥座敷」と呼ばれるようになって、京阪神だけでなく中京からの来客も多くなった。