第2章 魅惑のヴィーナス
祐介は、安田の腕を掴んだまま洗面所へ連れて行き、赤く染まったその拳を水で洗った。傍らに立つ安田の着衣が、異様な匂いを放っていた。
安田は、拳の手当てを終えると幾分落ち着きを取り戻した。祐介がビニール袋に入ったままの食パンを勧めると、安田は初めて口を開いた。
「美沙の奴、俺を裏切りやがった。ずっと俺に気があるふりを見せていたくせに、今になって好きな男がいるとぬかしやがった。俺が慶子と別れた途端にだぞ……」
祐介は、自業自得だと内心思いながらも、何か励ます言葉を探していた。しかし、一言も見つからなかった。
安田に言わせれば、自分には慶子がいることを美沙に打ち明けた直後から、美沙との親密度が増したという。ある時、慶子と心のすれ違いが生じ落ち込んでいたところに、美沙が親身に相談に乗ってくれ、様々なアドバイスをしてくれたという。
それからというもの安田は、慶子との間に些細な口論などが起きるたびに、美沙のアパートを訪ねて行っては相談を繰り返し、いつしかそこで夜を明かすこともあったという。
こうして安田は、日増しに美沙に心惹かれるようになっていった。安田は美沙と夕飯を共にし、朝食を共にしながら、次第に慶子と別れることを真剣に考え始めていた。そして、別れを決行したのである。