【前回の記事を読む】「何様のつもりだ! お前は商品なんだから…」大学に進学した頃、母は度々お見合いの話を持ってきた。私が断ると烈火の如く
Chapter 1 家族という鎖に縛られずに生きる
「我慢の連鎖」を断ち切る
我慢は決していいことではない
でも、我慢すれば、どうしてもストレスがたまります。
そこで、我慢を強いられた人は、ストレスを発散するため、「自分はこんなに我慢したんだから」という憂さを晴らすために、次の世代の人や自分より立場の弱い人に、同じような我慢を強いるようになります。
中には本気で「我慢をすることが人を成長させる」「我慢させることが相手のためになる」と信じている人もいるかもしれません。
そして、親から子へ、先輩から後輩へ、上司から部下へ、我慢の連鎖が発生します。
亡くなって初めて知った、母の苦労と我慢
私の母の人生は、苦労と我慢の連続でした。
私がそれを知ったのは、数年前に母が亡くなってからでした。
母は、とにかく働き者でした。
5人兄弟の4番目でしたが、父親が早くに亡くなり、兄や姉は早くに家を出たため、働きながら勉強し、母親を助け、弟の面倒を見ていました。
結婚してからも、専門学校で教えながら自分の店を経営し、さらに借金だらけだった父方の商売を、父を立てながら陰で支え、借金を返し財産まで築いたのです。
一方で、母は気が強く負けず嫌いで、「誰にも文句を言わせない」という思いが強く、世間体を非常に気にする人でもありました。
贈り物をもらったら、必ず値段を調べて、それ以上のものを返していましたし、商売をしている人が母の店で何かを買ったときは、必ずその人のお店で買い物をしていました。
親戚には特に気を遣っていました。
地方では、「本家」は「分家」が直面するあらゆるトラブルを解決しなければなりません。
私の実家は、まさに父方の本家だったため、親戚に何か困ったことが起きるたびに、相談に乗ったり、お金の工面をしたりしていました。
父は、全部自分がやったことだと思い込んでいましたが、実際には、母が裏で奔走していたのです。
さらに母は、父方の祖父母の世話をするのはもちろん、自分自身の母親や母方のお墓の面倒まで見ていました。私は、母がそこまで苦労しているとは知りませんでした。
怖い人だと思いながらも、母のことを「人望があり何でもできる素晴らしい人」だと尊敬していましたし、父のことも地域のために働くすごい人、偉い人だと思っていました。
母が常に父を立てていたため、父が「母がいないとまったく何もできない人」であることに気づかなかったのです。