母の寂しさに気づき、母を許せる気持ちになる
母が思った以上に寂しい人だったとわかったのも、母が亡くなってからです。
あれほど人間関係に気を遣っていたのに、亡くなったとたん、母のことをあまりよく言わない人が現れたり、いろいろな人とのつき合いがなくなっていったりしたからです。
たとえば、母は、実家のご先祖のお墓の管理を、遠い親戚に任せていましたが、年に一度は必ずそのお宅にご挨拶とお礼に伺っていました。
母が亡くなった後、私も母がしていたように、そのお宅にお礼に行ったのですが、先方から
「もう来ないでほしい」と言われたのです。
先方にしてみれば、毎年母が必ずやってくるのをプレッシャーに感じていたのでしょう。
さらに、周囲の人たちも、母の生前は表立っては口にしなかったけれど、母の店が繁盛していたことをうらやんでいたようです。
しかも母には、心を開いて何でも話せる、友人と呼べるような人がほとんどいませんでした。ただ、母が亡くなってから、遠方に住む、母のおそらく唯一の親友から電話をいただいたことがあります。
彼女から「えっ! お父さんの面倒はあなたが見ているの!? それは大変でしょう! お母さんからよくお父さんの話は聞いていたのよ」という言葉を聞いたとき、私は「そうか、お母さん、この人には本音を話していたんだな」と、ほっとした気持ちになりました。
何もしない夫を立てながら、夫の商売と自分の店を切り盛りし、育児をし、父方母方両方の親兄弟の面倒を見て、親戚づき合いや近所づき合いを完璧にこなしながら、よそではひたすらいい顔をし、たった一人の友だち以外には愚痴もこぼさずにいたのですから、母はひそかに、相当なストレスをためていたのではないかと思います。
そのストレスをぶつける相手は私でした。
唯一のはけ口が私だったのかもしれません。
母が亡くなってようやく、私は母が方々に気を遣いながら生きていたこと、私と同じように、人にいい顔ばかり見せて生きていたことに気づき、「母も寂しかったんだな」「一生懸命頑張った割には、報われることの少ない人生だったんだな」といった同情も生まれ始めました。
また、私という「はけ口」があったからこそ母のバランスが保たれていたとしたら、私は母の救いになっていたのではないか……。
そう思うと、それまでのことを全部許せる気持ちにもなり、「私は母の救いになっていたのだ」と、頭の中で過去を書き換えていきました。
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