第2章 魅惑のヴィーナス

いや、一見そのように見えたが、体が小柄なだけで、祐介たちとそう変わらない年回りの女性だった。

赤い布地に黒い格子の入った長袖シャツとジーパンを身に着け、そして白いスニーカーを履いて今にもハイキングにでも出かけようかという出で立ちだった。肩から、大きな萌黄色(もえぎいろ)の布袋をぶら下げている。

「おじゃまします。一年生の小寺清美(こでらきよみ)と申します。今日は、皆さんにお話があってお訪ねしました」

すると、袋からアジビラ(政治的扇動を目的とした内容の文書)を取り出し、それを祐介たち一人一人に丁寧に手渡した。

「今度、関東空港建設に反対するデモ行進があります。一緒に参加してみませんか?」

そして、ビラに目を落とす祐介たちを前に、たどたどしい言葉で、ビラに書かれた権力を糾弾し決起を促す檄文(げきぶん)を読み上げた。

自分を表現しない文字面だけの個性のない言葉に、何が彼女を運動に駆り立てているのだろうか、誰が彼女を戦場へと導いているのだろうかなどと、ふと考えた。

この少女のような女性が、戦場と化した修羅場でヘルメットをかぶり鉄パイプを持つ姿を想像すると痛ましかった。

それからも、小寺は何度かこのアトリエにアジビラを手に足を運んだ。

その後の安田は、一転して慶子と別れたことを頻(しき)りに後悔した。美沙にあっけなく蹴り落とされて、それまで安田に思いを寄せてくれていた慶子のありがたみに初めて気付いたのだった。普段は当たり前と思っていた慶子の優しさや思いやりが、実は当たり前のものではなかったのである。

祐介は、すっかり無口になって元気を失った安田を見かねて、今度は安田と慶子のヨリを戻す役を買って出ることにした。そして、慶子と御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)近くの喫茶店で待ち合わせた。

テーブルの向かいに座る慶子に言葉を掛けた。

「この前は、パブに誘ったりしてゴメン。俺のせいで安田を怒らせてしまって……」