他に詫びなければならないことが山ほどあるのに、この期(ご)に及んでも芝居を続けなければならない自分が後ろめたかった。
「それって、本気でそう思っている?」
刃物で抉(えぐ)るような突然の言葉に、祐介は一瞬たじろいだ。慶子は勘付いているのだ。慶子は言葉を続けた。
「まあ、それは、どうでもいいことね。かえって祐介君に迷惑を掛けてしまったわ。それより、公男に何を言っても聞いてもらえず、信じてもらえなかったことが何よりも悲しいし、悔しかった……」
そう言うと唇を噛んだ。
祐介は慶子に、そんな辛い思いをさせてしまった自分の思慮の足りなさと、愚かさを悔いた。とにかく、返す言葉がなかった。
慶子が、ぼそっと呟いた。
「公男にとって、私って何だったのだろうね」
そう言って大きな溜息をついた。
「私、あの後、お見合いをしたのよ。相手の人は、私の話を何でも誠実に受け止めてくれる、そういう人なの。お互いを信頼できるって大切な事よね」
慶子は、初めて見合いをしたその相手と結納まで済ませたとのことだった。そして、もう安田とは会わないのでそう伝えて欲しいと言った。
結納の話が本当かどうかは分からないが、祐介は慶子の口から淡々と語られるそれらの言葉から、安田とは二度と会わない決意の固さを感じとっていた。とても、安田とヨリを戻して欲しい話など持ち出せるはずもなかった。
お互いを信じ合えなければ、愛情はすぐに萎(しお)れてしまう。まして安田の裏切りは、それを枯らしてしまった。そして、彼女は、もう前を向いて歩き始めている。
別れ際に慶子が言った。
「幸せそうだったと伝えて」
その日の晩、木枯らし吹きすさぶ街頭で安田に慶子のことを伝えた。すると、安田は身を震わせながら叫んだ。
「捨てられたら、俺が拾ってやるー」
どんなに凍えた所を抜けて来たか知れやしないそんな言葉が、吹きつける氷針のような風と一緒に祐介の頬肉を赤く剃っていった。
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