【前回の記事を読む】ストーカー被害を訴える彼女。簡単に男を部屋に入れるから、そういうことになるんだと内心思いつつ...
第5章 安田の肖像
中央線の車窓から眺める夕暮れの街の景色は、同じような規格の家の瓦屋根がオレンジ色に輝いて美しかった。視界が広がり所々に背の高い松の木がツンツンと立っているのが見える。
あれから祐介は、美沙や香澄とも会っていない。もちろん、安田ともだ。目の前の夕景の中を流されながら祐介は思った。
これまで、自分の意思でやってきたことなど何一つなかったのではないかと。自分の意思と思い込んでいたものは、実は自分に過度な期待を寄せてきた家族や周囲の何者かに後押しされ、動き出せば谷川を下る木の葉のように岩や倒木にぶつかり、流れの強さに翻弄され、淀みの中を漂い、また次の淀みにまで運ばれていく。そういう繰り返しではなかったかと思った。
祐介の父は、美大を出て高校の教師をしていた。祐介が幼い頃に茶の間で絵を描いていると、必ずそれを覗き込み「お前には俺にはない才能がある」と口癖のように呟いていた。そして、自分も美大へと進学した。流れに抗うこともなく、人の期待に添うことばかり考えてきた。
安田のように目的のためなら手段を選ばず「のめり込み」時には「あがき」、たとえ結果が散々であっても何とか思いを貫こうとする。そういう生き方が羨(うらや)ましかった。
自分はと言えば、今日も美沙と一緒になるはずの授業は欠席して、目黒川沿いの小さな淀みの喫茶店でマンガを読んでは暇を潰していた。美沙と会って川村のことを問いつめる勇気なぞ微塵(みじん)もなかった。むしろ、みじめになるだけだと思った。
アパートに帰るとテレビを点けた。七時のニュースをやっていた。空港建設反対派が建てた鉄塔が、地元農村の婦人を天辺に残したまま倒されようとしていた。続いて、ヘルメットをかぶったデモ隊と機動隊が激しくもみ合う様子が映し出された。辺りには、火焔瓶の煙か機動隊が放った催涙ガスか分からないが、モクモクと白煙が立ち込めている。
祐介は、タバコに火を付けながら、ぼんやりその映像を眺めていた。すると、画面に安田の顔が大きく映し出された。
「空港建設予定地の強制収容に反対するデモ行進で、大学生の安田公男さん二十歳が、倒された鉄塔の下敷きになり意識不明の重体となりました。近くにいた住民の話によりますと……」
祐介のタバコを挟んだ指先はヒクヒクと震え始めた。しかし、祐介はいま何をしなければならないのか、咄嗟(とっさ)に思いを巡らせていた。慶子の事が真っ先に頭に浮かんだ。メモ帳から電話番号を探し出し電話を入れた。しかし、電話は通じない。その後、安田の自宅に電話をかけた。これも通じなかった。安田の家族は、すでに病院へ向かっているに違いない。