【前回の記事を読む】「私の似顔絵が欲しい。それから祐介君のものも」彼は荻窪の自分のアパートに、初めて彼女を招き入れた
第6章 香澄の肖像
こんなにじっくり、香澄を観察するのは初めてだった。これまで自分は、香澄と話をする時、一体どこを見ていたのだろう。何を見ていたのだろう。そう思った。祐介は、香澄とあまり視線を合わせなかった。それは香澄に限ったことではない。人と顔を合わせ、きちんと目を見て話すのが、どちらかと言えば苦手だった。
今日の香澄は、ピッタリと肌に密着した黒の薄手のセーターを着ていた。だから、香澄の体型がそのまま表面に出ていた。痩せてはいたが胸の膨らみは豊かだった。この前の実習でモデルを招いてヌードを描いた。その時と同じポーズを、いつの間にか香澄に求めていた。祐介の鉛筆を持つ手は、一気にその柔らかな線を写し取った。
夕方、祐介は香澄を駅まで見送った後アパートに戻ると、水彩の黒と白の絵の具をパレットに垂らし、大きめの皿には数種類の絵の具を混ぜて少し赤みのある肌色を作り出した。
その肌を彩る絵の具が、顔から首筋へ、そしてセーターを着ていたはずの胸元へと塗られていった。自分の中の香澄に抱く潜在意識が一気に表面に沁み出るように色が走る。終わりに、大切に包み込むように黒の絵の具を纏(まと)わせた。
第7章 クリスマスの日に
祐介は、クリスマスイブにシオンで香澄と会って食事をした。そこで、香澄に肖像画をプレゼントした。
自分の似顔絵は結局、描けなかった。自分の心の醜さが絵に表れるようで怖かったのだ。それでも、香澄は色づかいが自分の好きなルノワールのようだと喜んでくれた。すると、香澄が背後に回って、柔らかな両腕を襟元に絡めるように緑色のマフラーを首に巻いてくれた。ふっくらとした毛糸が、肌に心地よい。
祐介がアパートに帰ると、思いがけなく美沙から電話がかかってきた。すでに時計は、夜の九時を廻っている。
「何度も電話したのよ。何処に行っていたの?」
何処に行こうと俺の勝手だろうと、祐介は言いたかった。それよりも、今夜はクリスマスイブだというのに、美沙が自分に電話をかけてくるのが不思議だった。てっきり、あの川村と一緒に過ごしているとばかり思っていた。
「あなたに渡したいものがあるの。明日、会える?」
祐介は、思わず「会える」と答えてしまった。この前、古本市で美沙と川村を見かけてから、美沙には、これ以上振り回されないようにしようと心に決めていた。それなのに、あっさりと会うことを約束してしまっている。大した話もせず、明日の待ち合わせ時間と場所を約束して電話は切れた。