後で外科医に聞いたところによると、腹腔鏡手術では、腹腔内をモニター画面で見ながら、一人が鉗子で腸を持ち上げ、もう一人が他の臓器からはがし、十分自由になったら、中央部分(私の場合はへそのところを四、五センチ切ってあった)から、大腸を外に出す。
中央の口には、感染を防止するためと口を広げておくために、輪のようなものがはめてあるということだった。切断・吻合は外でする。縫い合わせは糸でするのではなく、自動吻合器というのがあってバシャンと一発でできるらしい。
これは、腹部だったので腹腔鏡手術であるが、胸部の場合(例えば、乳癌)では胸腔鏡手術であり、あるいは脳の場合は神経内視鏡手術といって、原理は同じ。細い鉗子と細い内視鏡を使い、傷が開腹手術より小さいので治癒が早く、また癒着が起こりにくいともいわれる。
手術室には十二時十五分に入った。麻酔が効き始める前の記憶は、外科医と麻酔医とが執刀開始の時間を十二時四十分にしようという会話だった。
後で聞いたことだが、切り取った大腸を持って主治医が家内のところに見せに来たという。脂肪がいっぱいついていたわよと言う。写真を撮っておいてもらえばよかった。そして、医者は血はほとんど出なかったので輸血はしませんでしたと自慢げに言ったそうだ。
「起きてください。終わりましたよ」という声で正気に返る。
まず、目に飛び込んできたのは、手術室の時計。長針が四十五分あたりを指しているのはわかるが、短針の先が戸棚に隠れて四時か五時か判断できない。ストレッチャーが動きだして、それが四時四十五分であることがわかった。私の意識がなかったのはほぼ四時間、手術時間は三時間半くらいだったのだろう。
[回復過程]天皇陛下は、手術後本はいつから読めるかと医師に質問されたそうだ。あなただったら、さしづめいつから食べられるようになるかと聞くでしょうねと家内がからかう。本は精神の栄養だから、からだと心の違いだけだが、これはやはり、やんごとなきお方と平民の差であろう。生命の維持という意味では、本はなくとも食物は必須である。
私は実際には質問しなかったが、聞きたそうな顔をしていたのか、医者の方から説明してくれた。血液検査の結果を見ながら、重湯から始めましょう。血液検査で炎症の程度がわかるのだそうだ。術後三日目の夜から重湯が出始める。その後の“進歩”は次のようである。
四日目:重湯、五日目:三分粥、六日目:五分粥、七日目:七分粥、八日目以降:全粥。
順調である。三分粥をすすりながら、何が三割なのだろうか、米三、水七なのだろうかと考える。お粥はすぐなくなるので、手持ち無沙汰を紛らわすためにインターネットで調べる。
【前回の記事を読む】七十一歳で定期検診に引っかかり精密検査をしたら「大腸癌」。手術後の治療について外科部長宛に手紙を書く