注 1 小野田光雄編『諸本集成 古事記』(勉誠社 昭和56年)
注 2 推古朝までの書紀に見える作池・造池は次の通り。
     崇神朝 造依網池(崇神62年10月条)
   作苅坂(かりさかノ)池・反折(さかをりノ)池(崇神62年紀11月条)
    細注に「天皇、桑間宮に居て是の三池を造る」とある。
   垂仁朝 作高石(たかしノ)池・茅渟(ちぬノ)池(垂仁35年紀 9 月条)
   作倭狭城(やまとノさきノ)池・迹見(とみノ)池(垂仁35年紀10月条)
   景行朝 造坂手池(景行57年紀 9 月条)
   応神朝 作韓人(からひとノ)池(応神 7 年紀 9 月条)作剱池・輕池・鹿垣(かのかきノ)池・廐坂(うまやさかノ)池(応神11年紀10 月条)
   仁徳朝 造和珥(わにノ)池(仁徳13年紀10月条)
   履中朝 作磐余(いはれノ)池(履中 2 年紀11月条)
   推古朝 作高市(たけちノ)池・藤原池・肩岡池・菅原池(推古15年紀是歳冬条)
   作戸苅(とかりノ)池・依網池(同条)
   作掖上(わきがみノ)池・畝傍(うねびノ)池・和珥池(推古21年紀11月条)この他に、仲哀 8 年紀正月条に岡縣主が「鳥池」を作った記事、武烈 8 年紀 3 月条に「穿池」、推古34年 5 月条に稲目が家の庭に「小池」を開(ほ)った記事があるが、朝廷による作池事業の範疇ではないと見て省いた。小野田光雄編『諸本集成 古事記』(勉誠社 昭和56年)

 

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