小学校低学年の頃に、学校で〝暴力反対〟という言葉を初めて聞いた時に感じた違和感を、私は今でもはっきり覚えている。

(暴力っていけないことなんだ……。そのいけないことをお父さんやお兄ちゃんはしているんだ……)

私がどんな悪さをしたのか覚えていないが、この頃は父と取っ組み合って押さえつけられたり、時には叩かれたりということがよくあった。けがをするほどではないが、ちょうどその頃は、理由もないのに、兄からもしょっちゅう小突かれていた。

すれ違いざまなどに、無言でいきなり小突かれるので、よけようもなく、その度に、私は尻もちをついたり、よろめいたりしていたが、この兄の行為は、父の目にも余るものがあったようで、父が兄にやめるよう注意したほどである。確か、自分より力の弱い子に暴力をふるうなと言っていた。

父が兄に注意した後、兄の私に対する暴力はおさまったように記憶しているが、父には、自分も暴力をふるっているという自覚がなかったのだろうか。こうした父や兄の暴力に対して、まだ幼かった私はストレスには思っていたものの、自分の家族が間違ったことをしているとは思いたくなかった。

しかし、この時、自分にとって最も身近な存在で、最も信頼したい家族が、世間一般の常識からは、少し外れていることを初めて実感した。

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