いつかテレビを消す日まで

箱船は夕刻となり、禍々しいサイレンの響きがひととき轟いた。終業の合図である。

帰宅の時刻となり、正装の市民や作業着の労働者は、時には疲れ切った相貌を見回しては安心し、あるいはより疲れ切った出で立ちで帰路へ就いた。

生け捕りにされた野生動物は自然環境の存在しない場所に解放されても、死を待つのみである。そして憎悪感情には段階があり、相手は自分ではないという自我が相手への不満を生み、相手への不満が相手との齟齬(そご)となり、その齟齬がこじれて憎悪感情となる。

だから憎悪感情を否定した社会が行き着くところは自我の否定となり、人間性を喪ってしまう。その上で野生動物にもなれないわけであるから、箱船はたいへんな楽園であった。

作業の最中、歯車のようにすり切れてしまったスズキ青年は、寝台に横たわって打ち倒された死体となるべく、自宅への帰路へ赴いた。通りがかりの酒保が珍しく開店していて、缶詰をいくつか買いこむと余裕のある心理が生まれた。

自宅のある一角にたどり着くと、友人派遣所から派遣された友人が待機していた。挨拶をし名刺を渡されたが、どうせ偽名だ。しかし送り返すわけにもいかず、狭いアパートメントで缶詰を開けることになった。室内へ入るとテレビが自動的についた。

「この缶詰は水道水でいけるね」

「なんの肉だろう?」

「グルテン・ミートかなんかじゃないの」

「食肉制限がおおっぴらに進められている時代に、背徳的だね」

友人が缶詰を取り上げ、蓋を確認すると「あっ、これドッグ・フードだ」。