いつかテレビを消す日まで
「電源ボタンはいったいどこ?」
「製作所に連絡してくれって」
「エリートの仕事の邪魔をしたらまずいんじゃない?」青ざめたスズキ青年は今度は動悸がしてきた。
「でも、テレビは見ていられないし……」強い危機感がスズキ青年を打ち砕き、その亀裂から強い焦燥感が吹き出し、死んだような気持ちになった。それでも一生に一度の大仕事をする気になって、スズキ青年は製作所へ電話した。
「こちら製作所の24時間受付です。市民のみなさんの安全のために、この会話は録音され、場合によっては治安部隊へ連絡されます」
「箱船に配給されたテレビの音が気になるので、音量を小さくするか電源を消したいのですが……」
「クレームですか? それでは法務部へつなぎます」
「いや、電源があるのかないのか、それをお尋ねしたいだけなのですが……」製作所の受付は短い間逡巡しているようだった。
「お客様はうちの商品の品質に問題がおありだとされていますが、それでは我が社の名誉に関わります。製作所は小さいものは鉛筆から大きいものは工場の煙突まで作りますが、もっともチカラをいれた商品がこのテレビです。お客様のお言葉は、私たちの自信作を誹謗(ひぼう)するも同然です。いったいなにが気に入らないのですか?」
「それでは率直に言いますが、テレビに出てくる俳優が能書きをたれるとなぜ女優は勝ち誇ったような哄笑(こうしょう)をするのですか? 時間をかけて見ていると、実に時間の無駄であり、これでは休息になりません」
製作所の受付は二の句が継げず、屈辱に打ち震える気配が電話から伝わった。
それでも絞り出すような気迫で、「お客さま、今回は私たちに瑕疵(かし)がございました。陳謝をいたします。しかし製作所はテレビの製造を承っている事業所ですので、放送内容に関してはテレビ局へご連絡ください」と言った。
いよいよ面倒なことになってきた。友人は生きた心地がしないような有様だった。
しかし告げられた電話番号に連絡をした。
「こちらは放送道徳委員会です。市民のみなさんは幸福ですか? そうでないならテレビ放送の示す内容のとおりに生きますと、うまくゆくかも知れませんよ」
「テレビの音量を下げるか電源を消すかすれば、箱船は他に文句のいいようのない楽園です。簡潔に、テレビの消灯の仕方をお教えください」
「テレビは消すようにはできていません」
「テレビを見て、おもしろくない話題にはうんざりですし、相づちを打って艶笑するのも演技じみていて、鑑賞に堪えません。彼らは本当のことを隠し、まるで楽しい社会に生きているかのような錯覚を私たちに与え、その実とても抑圧的です。電気製品は電力によって性能が生まれるわけですから、電源を切る機能を付けることは合理的ではないのですか?」
「お客様の斬新な意見は治安部隊に伝えますが、放送というのはこの近代社会が生み出した歴史上類を見ない伝達媒体です。元は議会の監視という名目でしたが、構築した意見を大衆社会に放ち、公民化を謀る機能が暴走し、いまでは箱船を支配する新たな権力です。私たちの意見に背くことは許されません」