大学病院には、父が運転する車で向かった。母が助手席に座り、僕と兄が後ろの座席に座った。トランクには、僕たちの入院準備と母親が付き添う準備を入れた大きなバッグも積んであった。

今みたいにカーナビなどなかった時代だったので、大阪府の大きな地図を見ながら病院に向かった。僕は緊張と不安も大きかったが、胸がワクワクしていた。

なぜなら、僕の家は専業農家であり、「農家には休みがないのが当たり前」というのが祖父母の考え方でもあったので、家族みんなで車でお出かけなどした記憶がなかった。そのため、入院するというのに“みんなでお出かけできるんだ”という気持ちの方が大きかったのだ。

2時間半ぐらい車に揺られていただろうか、いきなり赤煉瓦の大きな建物が見えてきた。家の近所では見たことがない大きな建物で、圧倒された。病院に入るとエスカレーターがあり、多くの人が歩き回り、入院前に訪れたデパートのようだった。

一見、病院ではない雰囲気であったが、そんな僕の妄想は一気に覆された。小児科がある2階に行くと、僕よりも少し小さい学年の女の子だろうか、「嫌や、入院したくないよ、痛いことしたくないよ」と大粒の涙をこぼしながら母親の服を引っ張っていた。

人目もはばからず泣いている女の子の姿に驚いた。

その泣きながら嫌がる女の子を見ながら、“やっぱりここは病院なんだ”と改めて思い、楽しい気持ちが一気にかき消された。

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