突然やってきた病いの兆候

診察室を出ると、いつもならジュースが飲めると心がうきうきするが、その日は母も僕も一言もしゃべらなかった。

ただ、いつもより診察室の消毒液の匂いがしなかったことを記憶している。母は会計を待っている間、僕の座っている席から一番遠い公衆電話を選び、どこかに電話をしていた。

電話をする母が、カバンからハンカチを取り出しているのが見えた。僕は見てはいけないものを見てしまったと思い、待合室にあったブラウン管テレビの方に急いで視線を向けた。電話を終えて帰ってきた母の表情をちらちら窺っていると、母は、

「大丈夫。心配いらんよ。何とかなるから」

と絞り出すような声で僕の背中をさすりながら言った。そして、

「あっそうや、サイダー買おうか」

といつもの声で僕に聞いてくれた。僕は、

「いらない」と言うと、

「お母さんが飲みたいんよ。1本もいらないから半分飲んで」

と言って、自動販売機でサイダーを買ってきた。その時のサイダーの味は、いつもより炭酸が強いくせに甘くなかったのを覚えている。