第2章 改善活動は、まずベース固めをすることが重要

コラム 日本人の「考える力」の背景は?

2.日本の教育

日本の教育の姿勢にも繋がるような気がします。私の父、兄夫妻は教育者であって「教育には、家庭教育・学校教育・社会教育がある」と言います。

仕事をしながら自ら学びリタイヤしても生涯学習として学び続ける仕組み、風土がある、という仕組みは理解できます。後は本人次第ですね。また、ある程度の規模がある会社では「社員教育」として、基礎、応用、管理……とお金と時間を膨大に投じています。

欧米では、かなりの部分で個人が自ら学び、資格を取り別の仕事、会社へとステップアップしていきます。日本の若者の働き方も時代の流れでいろいろと変化していきますが、日本の良い部分を残し続けたいものです。

私が子育ての時代は、ほとんどサボっていて「母子家庭」と言われ続けてきました。この年の間に孫が生まれ、その成長を見ながら 時々の「遊びの相手」をすると、1つひとつの遊びの中でも「考える」ことが頻繁に出てくると強く思います。どうやったらもっとうまくできるか、もっと楽しいか、どういうルールに変えたら面白そうかと考え行動している姿を見て、頼もしく思います。

「かくれんぼ」をやっていても、頻繁にルールを変更してどうやったら楽しいのかを考え、相談しているようです。

また、周りの人達との関係性も考えながら、気にしながら大人のような物言いをする姿に将来の希望が膨らみます。1歳からお世話になっている保育園での育てられ方に大いに感謝しています。

5 基本的なルールを作る、決めたルールを守り切る

多くの製造会社が、ある程度近代化された生産活動、会社運営の中でそれぞれの職場での「当たり前」「決めごと」を標準的に定めて、明文化してルールとしている。

メンバー、関係者全員に周知徹底して守ってもらうことで、誰でも・いつでも同じ作業、仕事ができるようになっている。また、関連する自分以外の人達が決められたルール通りの仕事をしているという理解、安心感をベースに統制された活動、安心した信頼関係ができている。

しかし、人間はそれぞれが考えていることが異なり、時と場合によって変化する生産活動では「良かれ」と思ってより良い方法、最良の方法についての意見は異なってくる。

ここで、ルールを守ることが正しいのか、決まったことから逸脱しても、良いと思う方法に変更することの是非が問題となってくる。特に、工場管理者、経営者にとってその場その場での明確な説明や、意思表示が問われることとなる。

そこで、工場運営上でも「不文律」とかいう聞こえの良い、自己弁護の臭いのする曖昧さによって起こした失敗経験をたくさんやってきた。