選挙は数の力で決せられるので、選挙で選ばれる者は当然のことながら、票の多い一次産業に対する施策を重要視せざるを得ない。そのような地域的な環境もあって、商工行政を進めていくことは相当なご苦労があることだろうな、と松葉は常々感じていた。

就職先が少なく、景気の後退が予測され、そして少子化の進んでいる宮崎県では、官公庁が一番安定した職場といわれ、採用試験の応募者が増え、狭き門の状態が長く続いている。

その結果、県庁には優秀な頭脳が集まってきている。松葉もその頭脳に何度となく触れる機会があった。

県は、毎年海外貿易商談会を海外で開催していた。広く県内の企業を募って、1週間から10日間の日程で行われていた。今まで、中国、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンなどで開催され、毎回15社ほどが参加していた。

その際の事前説明会、相手国に関する資料等の作成、参加企業より事前に聴取した商談内容に合致した現地企業の事前調査、そして現地での商談会の開催、その際出てきた案件の対応、個別商談手配等多岐にわたる業務は、全て商工労働部の担当者が2人ほどで行っていた。

毎回松葉は、その事前準備の周到さ、緻密さ、そして突発的な問題に対する対応力に、ほとほと感心していた。

こんな人がわが社に入社してくれたら、社長以上の給与を出していい、いや社長を変わってもいい、と思ったこともあった。

マレーシアでの商談会は、知事と県会議員が数名同行された。宮崎で開催される世界ベテランズ大会への招聘を兼ねてのことだった。

クアラルンプールの空港からバスで宿舎のホテルに向かう途中、添乗員が右の大きな建物を指差し、「明日ご案内する国際会議場です」と説明した。