其の一

『名前 骸骨、年令 不詳、住所 今のところ未定、職歴 理科用標本として×十年小樽市内の××小学校に勤務』云々。

これでは誰だって怒り出すだろう。何だか身体がメリメリと床にめりこんでいくような気がした。きょとんとした骸骨にちらりと一瞥を投げかけると、彼は深い溜息をついてしまった。

国道は夜になっても車の往来が多かった。昼に較べるといくらか数は減ったのだが、その分だけ全体にスピードが上がり、そのトンネルの入り口では少しも気を緩めることが出来なかった。反対車線のすぐ向こうには夜の海が黒々と広がっているはずなのだが、そこからは弾丸のように走り去る車の他は何も見えない。

長さ六百メートル程の緩やかにカーブを描いたトンネルでは、春の路盤改修による片側の交通規制が敷かれていた。内部には濛々と埃が舞い上がり、車の音と鑿岩機の音とが轟々と響いていた。

骸骨が交通整理の警備員としてここで働くようになってから、もう一週間程が経っていた。やや変則的な三交替制の深夜勤務の部として、毎夜十一時から翌朝七時までの八時間、そこで弾丸のように走ってくる車の交通整理を行なっていたのだ。

初めの二日程は先輩の傍に立って車のライトの洪水に目を見張っていたのだが、今ではコツも覚えて灰色の制服や白帯、白のヘルメットがよく似合うようになっていた。硬い動作がここではむしろ役に立っていたのだ。

この仕事を探してきたのは渋谷医師だった。たまたま患者の一人に警備保障会社の社長がいて、人手不足の折からも小うるさい身上調査もなく、臨時警備員として採用されたのである。

骸骨は初めこの立ち詰めの仕事を嫌がった。それでは今までと何の変わりもないというのだ。だが彼の風貌は人目につくはずだったし、それに他に仕事の当てもなかった。

まずはこの仕事をして少しずつ社会に馴れていく、それからまた別の職を求めてみるのも一つの手だと宥められて渋々承知したのだ。それで毎夜街外れの国道トンネルに立って、交通整理に当たっていたのである。 

始めは不満気だったものの、今では結構この仕事が気に入っていた。立ち作業には馴れていたから、足が痛むことも浮腫むこともなかった。口下手を気に病んでいたのだが、ここでは余りことばも要らなかった。ただ職業柄曖昧な動作は許されなかった。運転者の誤解が事故の原因となるからだ。

その辺に関しては骸骨には適職と言えただろう。彼の四角い身の動きが、ここではむしろ明確な意思表示として作用していたのである。