第一幕 信長公、語る
俺の名は、信長。死んではおらん。今もこのとおり、生き続けておる。今の時代は、令和と申すのか。此度(こたび)、ひとりの女子(おなご)によってわしは、令和という世界を知ることとなった。
世界中を見て廻(めぐ)っておる。楽しませてもらっておるぞ。近江八幡の近くでわしを呼び出したこ奴には、心からのねぎらいを送ろうぞ。
「俺は」などと申すのは、気取りたいわけではない。まこと新しいものには目がないたちでな。気に入れば即、取り入れる性分なのだ。
真新しい令和の世に戻ったのであるからたまには「俺」でもよかろう。似合うとか似合わんとか、どうでもよいのじゃ。自分に正直でありたいと思わぬか。
さて、かつて万能寺に火を放ったのはわしだが、俺はごくわずかな家臣と共に寺から抜け出した。里から離れた古い庵(いおり)に身を隠し、誰の目にも留まらぬよう隠れるようにして、細々と永らえていたのだ。
食べるものが十分でなかったせいであろう。家臣がひとり、またひとりと亡くなり、最後に残ったのはわしであった。
いよいよわしも、腹をくくらねばならなくなった。それからというもの、わしはずっとひとりであった。気がつけば、真っ暗闇の世界にいるではないか。声を出すも、答える者なく、他に誰の姿も見ることはなかった。歩けども歩けども、暗闇が続いていた。
どれほどの時間が過ぎたのかさえ、わからぬ。そんな折、わしに話しかける声を聞いたのだ。それが、こ奴だった。
こ奴は、「私にはあなたの姿を見る能力がないので、もしも、信長さまが近くにきてくださったなら、見えない私にもわかるように、どうかサインで教えてください」と申すではないか。しゃれクサイ女子(おなご)じゃ。はて、どうしたものかと思ったのだが……。
*1 歴史文献上は「本能寺」となっている。
【イチオシ記事】「気がつくべきだった」アプリで知り合った男を信じた結果…
【注目記事】四十歳を過ぎてもマイホームも持たない団地妻になっているとは思わなかった…想像していたのは左ハンドルの高級車に乗って名門小学校に子供を送り迎えしている自分だった