このときの担任は非常に厳しい先生でした。怒るときはほっぺたをビンタする先生だったので、かなり緊張して毎日を過ごしていました。
そのなかで生活したことが、職場で緊張を耐えることを少し楽にしてくれたと思います。今の世なら、パワハラ教師というレッテルを貼られることは間違いありませんが、不条理な緊張感ではなく、ある程度理屈の通ったなかでの厳しさはストレス耐性を育むために必要な面もあったと思います。
ただ、耐性を身につけるか、それとも打ちのめされてしまうかの境目は生徒一人ひとり違うので、集団で耐性を身につけることを考えたら今の時代にはやはりビンタはふさわしくないとは思います。
5年生ともなると、女の子に興味が出てきたり、中学受験をめざしたりと、自我の目覚めを迎えます。ご多分にもれず、なぜ勉強するのかなどを考えることもなく、周りに刺激を受けて塾に通いだします。
また、自分の興味のあることも見つけ出し、コインや切手の収集なども始めました。特に、コイン収集にいたっては、「昭和32年」「昭和33年」「昭和34年」発行の十円玉欲しさに、お小遣いをためては最寄り駅前にあった銀行に行って両替をしていました。
そういうところから社会との接点ができ始めました。おりしも1973年は第一次オイルショックであり、トイレットペーパーがないとか、砂糖がないといっては、母親と一緒にスーパーに買い出しに行ったことを覚えています。
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