小学校時代

兵庫県の幼稚園、小学校へ

そういうことを頭の中に浮かべていると、神社近くの松林のなかにあった市民プールのことも思い出します。

誰と行ったのかも覚えていません。ただ、小学校低学年のわたしに小遣いをくれて、プールの帰りに友だちとカップ麺を食べさせてくれたことを親に感謝したいです(同製品の発売時期を調べると、発売直後でもあり、プールを営業しているかどうかも微妙な時期なので、もしかしたら記憶の混同が起こっているかもしれません)。

このプールのあった松林は、もともと海に面した広範囲な松林の一部でした。松林のなかには、旧陸軍の兵舎跡などが残っていましたし、今ではあり得ないことですが、松林の中の舗装道路上に壊れたダンプカーが放置されていました。

私たちはそのダンプの運転席や荷台に上って遊んでいました。野球場もあり、そのまわりの草むらにはボールがいっぱい落ちていたので宝物探しの場でもありました。

また、雨が降ると、その草むらのところどころに水が溜まり、蛙が卵を産み、ヤゴが生息し、アメンボもおり、蛙を狙って青大将も寄ってくるという、こどもにとって興味をひかれるし、スリリングでもある、何回行っても飽きない遊びと勉強の場所でした。ダンボールなどを拾い集めて秘密基地もつくりました。

また、海が比較的近かったので、父親の魚釣りにもよくついていきました。砂浜では針のついた糸とゴカイでハゼ釣りもしました。岩場にはやどかりもいて、家で飼ったこともあります。

これは、陸地での話ですが、クラスメートには農家の子も多く、仕事で蚕を飼っている家もありました。その蚕をわけてもらい、蚕が繭を作るのを飽きずにずっと見ているようなこともありました。

4年生の4月、父親の仕事の都合で急に転校が決まりました。楽しかった学校生活と仲の良かった友だちに別れを告げるため、登校最後の日を迎えました。

その最後の日、クラス替えを終えたばかりのクラスメートの前で転校する挨拶をしたことを、今も鮮明に覚えています。