その4年のクラスで級友であったかどうかは覚えていませんが、在学した3年間で非常に仲良くなった友達に、その子の家がプラモデル屋であったからか餞別 (せんべつ)にプラモデルをもらい、それを大切に保管していました。

理由はわかりませんが、「大きくなったら、東大で会おうな」と言葉を掛け合ったときのその言葉と彼の笑顔が今も心の中に鮮明に焼き付いています。

私は実際に東大受験をしましたが、あえなく不合格。そういうことはさほど気にせずに、大学在学中に彼に会おうと思い立ち、実家に帰省したときに懐かしいこの町に行ってみました。

ところが、彼の実家であったプラモデル屋は空き家になっており、近所の人に自分が尋ねてきた理由を告げると、彼の親戚のやっている理容院を教えてもらい行ってみました。そこで告げられたのは、「あの子は、中学に上がる前に亡くなった」という事実でした。

その事実に打ちひしがれながらも、彼の遺影に手を合わせたいと思い、記憶をたどり親戚の方に聞いた道をたどろうとしたのですが結局彼のご両親のお宅がわからず、そのまま実家に戻ったのです。

それまで、私は何も知らないまま、何も考えずに、ただ楽しく過ごしていたのでした。それがいまだに心残りで、もし可能であれば、ご両親か、いくつか年上のお兄さんにお墓を教えてもらい、会いに行きたいと思っています。でも、大人になってから、ゆっくり話をしたかったなあ。

大阪府吹田市の小学校へ

始業式が終わってからの、予期せぬタイミングで転校することが決まりました。転校という大きな変化まで時間がたっぷりあって身構えるよりも突然やってきてくれた分、気持ちの上での負担は少なかったと思います。

移った先は、当時まだニュータウンという名称にふさわしい雰囲気のなかにありました。

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