小学校時代
大阪府吹田市の小学校へ
今になって当時起こっていたことを調べてみると、私が直面したオイルショック時のトイレットぺーパーの品薄という誤解は、住んでいたところに程近い駅前のスーパーのチラシが発端だというのです。
歴史の大きな変わり目に、事の起こりを目の当たりにしていたのにそれとわからなかったのは惜しいと思います。冷静に考えると、情報をオンタイムにキャッチする術をもたなかったこと、時勢の流れを理解できる知力がまだなかったのですから仕方のないことです。
しかし、約半世紀後に、当時がそういう状態であったこと、それを理解できなかった理由を突き止められることは、多少たりとも知的な好奇心をもつ自分に満足感を与えてくれています。衝撃的なことがすぐ身近で起こっていたからこそ、後で余計関心をもって振り返ることができました。ラッキーだと思っています。
当時のことを思い浮かべていると、家の最寄り駅とその周辺にたくさんの思い出が詰まっていることがあらためてわかります。真っ先に思い出すのが、焼き鳥のお店です。お店と言っても、移動販売のお店です。駅からは少し離れていたのですが、公営住宅脇の電話ボックス横に移動焼き鳥の車がいつも停まっていました。
焼き鳥の営業はおそらく夕方以降ですから、私がそこに立ち寄ることができたのは、多少のお小遣いをもっていた年齢で、しかも夕方以降学校を帰った後に駅まで行っていたという条件がそろわないと成り立ちません。おそらく、小学校5年か6年に駅ビル内にあった塾に通い始めた以降のことだと思います。
店に立ち寄ると、店主は気さくに対応してくれて、小学生の私たちと気軽に話しをしてくれました。楽しかったのと同時に、その焼き鳥が非常においしかったことをはっきり覚えています。
焼き鳥の味という点では、当時食べた「皮」の味は今食べているものと別物のように感じます。当時焼き鳥の部位として「ぼんじり」が販売されていたかどうかは知りませんが、当時の皮はぼんじりのようにジューシーで、しかもクリーミーだったのです。
また、この店でのエピソードはいくつかあります。