この頃にはやっていた歌は、「ハチのムサシは死んだのさ」です。この歌を聞くと、転校した初日の光景が鮮やかに蘇ります。
また、こちらの学校に来て一番つらかったのは、プールの授業です。転校してくる前の学校にはまだプールがなく、泳ぎ方というものを教えてもらうチャンスがないまま小学校4年生となり、しかも移った先はがんがん生徒を泳がせる学校であったのですからたまりません。
泳ぎ方を教えてもらったのだとは思うのですが、一人だけ違うメニューで過ごしていることはかなり屈辱的でした。
特に、水泳大会で、泳げない人だけが最後に泳ぐプログラムはつらいものでした。恥ずかしいやら怖いやら、色付きで鮮明に覚えている当時のいくつかの場面のうちの一つはこの時のものです。
この時期での思い出として、4年の時にクラスメートのお母さんが亡くなり、なぜかそのとき先生も不在で自習となり、先生に言われた時間に手を合わせて祈ったことを覚えています。真剣な顔をして手を合わせることが照れくさかった数人の男子は騒いでいました。
このときわたしは真剣に同い年の友達O君の顔を思い浮かべ、その心をいたわる気持ちで合掌したことを思い出します。
私が通ったこの小学校は、クラス替えは2年ごとにやっていたようなので(5、6年だけだった?)、5年生になったときのクラスメートとは、2年間一緒に過ごすことになりました。