祖父の家は千葉県の我孫子市にある。大学時代に馬術部だった祖父は、もう少しで国体にいけるレベルの選手だったそうだ。卒業後は乗馬を離れ、国語の教師として高校で教鞭をとっていた。勤務先は我孫子市にある大学の付属高校だった。

僕が生まれた頃だったというが、我孫子に小さな乗馬倶楽部が誕生した。祖父はその噂を聞くと「昔取った杵柄だ」といって、暇を見ては馬に乗りに行くようになった。

教師を引退後まもなく祖母が亡くなり、しばらくは何をする気力もないほど落ち込んでいたが、心配した乗馬倶楽部のオーナーが声をかけてくれて、今では倶楽部の手伝いをするかたわら、のんびりと馬仲間の世話を焼いているらしい。

最近では乗馬倶楽部で知り合った地ビール醸造家の若手グループ「A(あ)・WA(わ)」の相談役になったそうだ。まさに趣味と実益のベストマッチだ。

まだまだ頭も体も元気な祖父だが、母は心配して月に一度は僕を特命係として祖父の様子を見に行かせる。山岳写真家だった父は、僕が小学校一年生の時に雪山の遭難で亡くなった。

その後、母の勤務先の関係で僕たち三人は我孫子の家を離れて都内に引っ越した。母は四谷にある中高一貫の女子校で英語教師をしている。妹の真理亜はその学校に中等部から入学した。

僕たち兄妹が大好きだった祖母は、東京と我孫子をせっせと行き来して、幼い孫二人の世話をしてくれた。苦労話は一切しなかったが、ずいぶん大変だったと思う。 

僕はA大学文学部英米文学科の二回生だ。母も祖父も文学部卒業だから自然ななりゆきといえばそうなのだが、僕が英米文学科を志望したのは、英米文学ではなく外国語に興味があったから、それも中二の時にはやったピコ太郎の「PPAP」がきっかけだ。

ナンセンスさが抜群で夢中になってしまった。単純に繰り返されるリズムが心地よくて何度聞いても飽きなかった。

世界的な大ヒットの理由が、英語の強弱のリズムのルールを上手に捉えているからだと知って、僕は言語のリズムにとても興味をそそられた。世界の言語は日本語とはまったく異なる構造やリズム感でできている。

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