新しいよだれかけをかけられた地蔵さんに花が供えられて、ローソクが灯(とも)される。別のおじさんたちは、町内の家々の地蔵盆の行灯(あんどん)を配って回る。

行灯(あんどん)は、配達の牛乳箱よりも一回り大きい形の木枠に、川柳と絵が描かれた、きれいな色刷りの紙が張ってあって、各家の戸口に掛けてろうそくの火を灯(とも)すのである。

やがて供物を飾る棚も組み立てられ、それに白い布がかけられるころ、町内の家々からお供え物が届く。大きな西瓜や、ぶどう、お盆に山盛りのお菓子や粟おこし、そうめんの木箱など様々な供物が所狭しと並べられる。

その一つ一つに私の父が、白く細長い紙切れに供えた家の名前を筆で書いて貼り付けていく。字が上手ということで、毎年この役を町内会から頼まれる。このことは私のひそかな誇りでもあった。

「わあ、〇〇ちゃんとこ西瓜やわ」「うっとこ(うちの家)ぶどうやし」子供たちは口々に紙切れを見てはしゃぐ。

そして敷き詰められたむしろの中空には、沢山の提灯(ちょうちん)がぶら下げられる。はすの花が描かれ、「地蔵尊」と筆太に書かれた提灯には、一つ一つに子供の名前が記されている。

子供たちは沢山の中から自分の名前を見つけては、「ウチのはあれや!」「ボクのんもある!」と目を輝かせる。

私のは一つの提灯に、私と姉の二人の名前が書いてあった。「おとうちゃん、一つケチったな」と思ったけれど、自分の名前を見つけることができて嬉しかった。

夕暮れになると全ての提灯にローソクの火が灯(とも)される。それが暗くなりかけた辺りを明るく浮き立たせる。祠にも供物の棚の上にも明かりがついて、露路はいつになく華やいだ雰囲気に包まれる。

家々の戸口に掛かった行灯にもそれぞれ火が入って、それはそれはきれいな眺めだった。子供たちは夕飯がすむと三々五々連れ立って、家々の行灯を見て回る。

行灯の図柄や川柳は一つとして同じものがなくて、子供では意味の分からないものもあったけれど、それでも結構面白かった。

その夜おじさんたちは交替で、夜通し地蔵さんのお守りをする。宵のうち女の子たちは、露路の側の駄菓子屋の店先に出された床机に腰かけてあやとりをしたり歌を歌ったり、男の子らは、ベッタンやラムネ玉に夢中になったりして、前日の夜を楽しんだ。

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