しかし、金を得ることが目的化したとき、そこに悪魔は宿ると私は確かに思うのです。

いろいろあった父との人生最後の葛藤や痛みそして数々の経験も義母との同居への情緒的な背景やモチベーションであったのかもしれません。このような下地があって、私の“最後の親”には子どもらしい向き合い方をしたいと思ったのかもしれません。

今回、父のことをあえて書いたのは、高齢期の親の介護は長い間に蓄積された親子のよい、悪いの蓄積が色濃く影響を及ぼしていることを述べたかったからです。

と同時に、これをもって、父と笑って別れたいと考えたからでもあります。そうはいいながらも、父に対しての本当の気持ちはドロドロしたものであり、何を書いても正しく自分の根幹を表せないと思っています。

このような気持の堂々巡りの中で父との向き合い方を考えることがあります。不思議なことですが、あれほど嫌悪していた父と同じような仕草をしたり、同じようなことをしている自分をこの歳になってふと気づくのです。

仕草も行いも同じようなことをしていると気づいたとき、苦しみました。私が完全に否定しきった「ダークな部分」をまじまじと見せつけられた時に、生きることのすべてを使って否定し続けた男が私の中で父親として現れる。

そして私が『父親』でいる。この時私は慟哭(どうこく)し、親子のつながりのとてつものない『深さ』や決して解きほぐせないつながりに向き合うことになりました。これ以来私はこう考えています。

受け入れがたい他者を受けとめて、『許す』ことなしには、自分の父に似る「ダークな部分」を許すことはできないのではないかと。つまり父を許し、父を認めない限り、自分が自分を許せないという人生を歩むことになるのではないかと思ったのです。

つまり人は許しがたいと思う他者を許すことで、自分自身の許しがたいところを初めて許せるのではないかと感じています。

(しかし人間には許すということが本質的にはできないのではないかという思いもあります。許しがたい人間を許すことは、人知を超えた存在(=神)しかできない。もし私にできることがあるのならば、「許せるようにしてください」という祈りだけが『許されている』のかもしれません。)

いろいろありあましたがこの一言で、本当の意味での父親から卒業、コメンスメント(Commencement) です。

「お父さん、ありがとう。至らぬ子どもですまん」。

父に関する記述は、私の一方的な思い込みの部分もあるのだろうし、事実、父は私のことをいつも心配していたという声を聞くこともあります。


1)一定の相続人に対して、遺言によっても奪うことのできない遺産の一定割合の留保分のこと。(法テラスHPから)