第一部 認知症になった母の人生
第4章 いよいよ同居が始まった
焼き鳥パーティで大盛り上がり ある日突然
少し歴史を進ませますが、母が病になり、そう長く生きられないのではないかというときに、私は積年の思いを父にぶつけたことがあります。
「お母さんを殺したのはあんただ」とまで言ってしまいしました。
その時、私は父の逆鱗(げきりん)に触れると恐怖に駆られましたが、父は母が「まもる、もうやめて」と言った後、哀しい顔をして、「まもるは、ずっとそう思っていたのか」と妙に冷静に聞き直してきたことを覚えています。
この『情ある冷たさ』は今まで一度も経験したことのないものでした。私が何と返答したかは忘却の彼方です。
こんな父親でしたが、一代で築いた商売を私に継がせたかったのはよくわかりました。しかし、私は、このような父親の跡取りになることはどうしてもできなかったのです。
既に述べましたがもともと父と私の性格は親子と思えないほどの大きな違いがありました。
父は金に苦労してきたために、金銭に強く執着し、そしてそれで人を支配、コントロールしてきたのではないかと私は思っていて、だからそういう生き方のすべてを否定し続けることが私のある意味のアイデンティティの核だったようにも思います。
父が好まない福祉の道を歩むことを選んだのもそのような背景があったのかもしれません。
父は母が亡くなったあと、再婚しましたが、哀しいかな、その相手も亡くなりました。その再婚相手の死に際して、霊安室で出会った父はさすがに落ち込み、憔悴しきって車いすに乗っていました。
あんなに距離のあった私に父はすがるように「まもる、おれが悪かったのかな?」といいます。その一言に絆(ほだ)され父との同居を決めたことが間違いだったのです。
案の定、父との関係はあることが契機になって断絶状態のようになりました。私は相続と遺留分1の放棄をして外形的には親子の関係を断ちました。
こうした経験から理に合わないものは得ない、金や名誉、権力に目がくらみ「道理」を失うと、とんでもないことが起こるようにも思います。金は生きるためには重要です。自己実現するための大切な手段です。