第一部 認知症になった母の人生
認知症で終わる人生なのか。認知症から新たに始まる人生なのか。この問いの答えは皆さんの手の中にあるように思います。
社会的にみて認知症の悲惨さだけが繰り返し伝えられ、認知症だけにはなりたくないという気持ちが認知症への差別や排除にもつながっている面があるのではないでしょうか。
第一部では、母との5年にわたる同居介護を振り返ってみたいと思います。
第1章 母の人生について認知症前まで
母の人生をざっくりと見通す
母はよく、生い立ちを話してくれました。それもどんな時代の中の出来事であっても「嬉々として」時に「悔しそうに」そして力強くも語ってくれました。母が語るときそこに今はいない人も立ち上がってくるほどのエネルギーがあり、魂というかスピリット注1がありました。
母は1933年に生まれました。東京の巣鴨(とげ抜き地蔵が有名で、昔ながらの下町情緒あふれる商店街がある『おばあちゃんの原宿』ともいわれる街)で長く暮らしていたこともあり、「すがも」ということばを懐かしそうにそして楽しそうに語っていました。きょうだいは女子が三人で、男子が二人。後で述べますが、この女子三人の仲が良かったようです。男子二人のことはあまり語りたがりませんでした。父と母のこともあまり話しませんでした。
母は、当時、東京でもハイカラな西洋料理を出すお店で働き、ウェイトレスの仕事では頭角を現わしていたようでした。このお店のことは何度となく話をしていました。決して豊かな家ではなかったようでしたが、気立てのいい、働き者のかわいいお嬢さんということもあり、皆さんから愛されていたようです。
先ほど女子三人組のお話をしました。長女、次女(母)、そして三女。母が特に慕っていたのが長女のようです。