立川でスナックを姉妹三人で始める

この三人でスナックを始めることになったのは戦後1950年代後半でしょうか。その場所が立川です。愛想がいい母、仕切りがうまい長女、働き者の三女のこのお店は結構繁盛したようです。そこで知り合ったのが、亡父(義父)、夫になる方でした。父は旧家で育ち、恵まれた環境のようでしたが旧家ならではのめんどくささもあったようです。

人生の大切な一品(ひとしな)

結婚後、長女、私の妻が生まれ、程なく次女も生まれ4人暮らしが始まりました。妻が中学校まで過ごした秋川という町は、東京の郊外に位置し、民家も多くなく、自然豊かな場所です。多摩川が流れ、釣りやキャンプに訪れる方も多くいます。

父は無類の競馬ファン。といっても、賭けるお金は少額。馬券を買いに立川へ、そして府中の競馬場にも家族ででかけ、馬券があたると、子どもたちに競馬場外に出店している露天商のおでんをご馳走してくれたとか。父も母も子ども思いだと妻は話していました。夫婦仲は必ずしもよくはなかったようですが、子どもへの思いは、父も母も強かったようです。こども時代の最も大切な思い出を聞くと「アップライトのピアノ」と妻はいいます。

お金があるわけではなかったようですが、母がへそくりを使い、子どもたちにアップライトピアノをプレゼントしたそうです。注2妻はこのときのことをこのように解説します。

「本当は母がピアノを演奏したかったのでしょう。その思いを私に託した。だからある音大のピアノ教室にも付いてきてくれたのです」

人生にはきっと誰もがもつ思い出の大切な一品というものがあるのでしょう。それに様々な出来事が結び合わされ、物語が紡がれているのかもしれません。

 

注1:ここでは生命力、生気、気力と考えたい。このスピリットは、母の人生に一貫した迫力ではないかと思う。タラント((ギリシャ)talanton/(英)talent)は「神様が与えてくれた特別の力」といわれるが、母の人生の語りにはこのタラントが宿っている。

注2:アップライトピアノの値段は、現在、新品で60万円くらい。消費者物価指数が1970年ごろから現在まで約4倍に上昇しているので、ここから計算するとこの時代の価格は15万円ほどと想像できる。この頃の大学新卒初任給が4万~5万円として計算すると、アップライトピアノ1台は、給料の3ヵ月から4ヵ月分が必要になる。決して安い買い物ではない。