第二章 人生の変わり目

最初のつまづき

今度はちょっと昔のことを書く。

学校はどんなところに行かれましたかと聞かれて、

「中学高校は、教育大学附属駒場中学高校でした」

「今の筑波大学附属駒場ですね。略して、筑駒という進学校でしょう」

「それから、大学は東京大学理学部地学科鉱物教室でX線結晶学•鉱物学を専攻して、学士号と修士号を取得。そして渡米。ハーバード大学の文理学部地学科で、同じ専門の勉強を続けてPh.D.(博士号)を取りました」

この問答をお聞きになって、どんな印象を持たれるだろうか。

自慢のように聞こえるかもしれないが実は、私の人生の予定にはなかったのだが、大学に入るのに浪人したのである。それも、二年浪人したのである。私の人生で初めてのつまづきであった。

高校卒業時、私の将来の展望は外交官だった。それで、法学部に進むべく東京大学文科一類を受験。私自身は、合格したと思っていたのだが、実際には合格者名簿に名前はなかった。

東大は落ちた場合、どの程度でダメだったのか教えてくれる。私はAということだったから、次の年に備える。予備校の試験を受けてこっちは合格。

受験勉強をしながら、将来のことを考え直す。役人になって、人との関係で自分の居場所を決めるよりも、もう少し自分自身の能力で生きていくべきだと考え直す。エンジニアを目指すことにする。またもや方向転換だ。

しかし、数学の範囲に数学IとIIだけでなく Ⅲも追加される。高校で授業はとっていたが、受験勉強はしていなかったので勉強する範囲が増えた。今度のターゲットは、理科一類である。

そして、次の年も見事に落第。今回は、試験の後で失敗だったという自覚があった。二浪である。もう一年予備校。さすがに、予備校も二年目となると、毎週の模擬試験の成績で、特待生になって授業料が返ってきた。

そして、また将来のことを考える。何かを作るエンジニアより、自然を理解しようとする研究者の方が自分には向いているのではないか。これには、高校で勉強した地学が大いに影響している。地学といっても、地質学だけでなく天文学や海洋学なども含まれる。

理学部や農学部が進学先の理科二類を受験することにした。理科二類の方が一類よりも、合格最低点が低いので合格の確率も高くなるだろう。