メディア・ジャパン・ホールディングス、略称MJH。大将こと鷲尾瑛士は、東京新興市場に株式を公開するIT(情報技術)企業のCEO(最高経営責任者)である。鷲尾はインターネット関連事業や新聞、出版、放送、投資ファンドを傘下に収める複合企業を十五年で作り上げた。

「大将」とか「総帥」と呼ばれる裏に揶揄する気持ちがたぶんに入り交じっていることを、本人はみじんも気にかけていない。自尊心と自己顕示欲がしゃれたブランドものの衣裳にくるまれているような若き統帥である。突然、胖を呼びつけた御前会議も、相手の都合など一ミリたりとも斟酌(しんしゃく)しない。

細身のスーツに身を包み、銀行家然としてつつましやかに臨席しているのは財務・経理担当の辻慎太郎(つじしんたろう)だ。辻はコンピューターを内蔵しているかのように頭の回転が速い。ひそかに「経理の鬼」とか「リスクヘッジモンスター」と、畏怖と畏敬半々に評される。敵に回したくはない御仁だ。

大将お気に入りの秘書、椎名百合(しいなゆり)はもっと怖い。何度も覗きに来るのが気になる。きょうも、タイトなスカートに襟ぐりの開放的なブラウスに身を包む。胸元を垣間見た若手社員がいつしか「谷間の百合」と名付けた。

フランスの作家・バルザックの同名小説にちなんで「バルザック」が、いつしか略して「バルちゃん」という二つ名を奉(たてまつ)る。

「百合の谷間」を想像して、はからずもにやつく胖。「どこを見て何を妄想しているんだ」。嘲弄(ちょうろう)交じりの叱責が飛ぶ。「いや、面白い編集企画を考えていたところです」とごまかす。口舌(こうぜつ)とは裏腹に心中では雑念がなおも渦巻くのを止められない。

小柄な若き統帥は、長身細身でぼさぼさの髪、ふてぶてしさと皮肉っぽさが同居した顔つきの編集主任を背の低い椅子に座らせると、上から目線で委細構わず居丈高(いたけだか)に切り込んでくる。

鷲尾「チームM&A(企業の買収・合併)の特ダネはまだか?」胖「ええ、若い連中は精力的に動いています。もちろん、具体的な内容は言えません。オーナーとはいえ、事前に内部情報を漏らしたら、当節流行(はやり)のインサイダー取引の典型になりかねませんからね」。

事実、この人の放った間者=スパイが暗躍する気配がしてならない。目がキョトキョトしている、あの男が怪しい。服部クンといったっけ? ゆくゆく、この男が微妙な立ち回りをすることになろうとは、不覚にも胖はこの時点では気づかなかった。

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