【前回の記事を読む】学区内で「2位」の公立高校に入学したが…その高校は、卒業時には成績が下がると言われる“良からぬ伝統”があった。
3.大学時代と就職
学生時代は、アルバイトに精を出した。その当時、京都大学吉田キャンパス近くの百万遍にあった学生相談所で、京都青果市場の問屋の販売の仕事を紹介され、京都や大阪のスーパーに行き、果物や野菜の店頭販売を行った。
このアルバイトは、彼の人生を方向づける意味のあるアルバイトとなった。喋ることが好きだったためか、意外とよく売れたのだ。
店の人や問屋の人からも喜ばれ、人生で初めて世の中の役に立つ承認欲求が満たされた瞬間だった。
販売のコツについては、彼なりにお客様へのアプローチについて勉強した。いろいろな工夫が日々の結果につながるので、この仕事に対する充実感を感じていた。
彼は販売の仕事を通して自分の新しい一面に気づき、これから生きていく上での自信を掴むことができたのだ。
大学4年になると就職活動が本格化する。京都の大学に進学したが、将来は地元近くに戻るべきだろうとの思いがあり、地元に本社がある会社を受験し、いくつかの企業から内定をもらっていた。
夏休みに入り、地元での就職活動を熱心に始めていた頃、「元気堂」との出会いがあった。きっかけは、元気堂の就職セミナーに当時人気の評論家の講演会があるという情報を得て、興味本位で行ったことだった。
彼は、それまで元気堂という会社を知らなかった。調べると地方の勢いのあるスーパーで、売上は数百億円規模、その割に知名度は低い印象だった。
彼は地元での買い物は専ら大手スーパーのダイエーやニチイで済ませており、元気堂に行ったことはなかった。
このセミナーに参加する目的は、元気堂のトップの話への興味が30%で、有名評論家の講演が70%というのが本音だった。
非常に暑い夏の日、彼がセミナー会場に近づくとリクルートスーツに身を包んだ学生が会場に吸い込まれており、赤いチェックのシャツにチノパンの彼は少し焦った。
トイレで紺のニットタイだけ締めて受付に向かったが、やはり会場では少し浮いていた。
その当時の元気堂社長の話の内容は覚えていないが、にこにこ笑顔が印象的で、明るさと熱いエネルギーのオーラが出ていた。
彼が何となく、スーパーの店長はどんな仕事をするのだろうか、自分にもできるだろうかという思いを持ったのはその時だった。
セミナー当日に、応募者のグループディスカッションがあった。その後呼び出しがあり、彼が初めて元気堂の本社に行くと最終面接だった。
驚いたのは、体力測定があったことだ。体力勝負なのかと思ったが、どうせここまで来たのなら内定が欲しいと、真面目に取り組んだ。