【前回の記事を読む】出発前、父から「海上保安庁には見つかるな」と言われていた…エンジンが止まり、漂流した船。乗員は小学生だけで…

2.生い立ち

その当時の昭和40年代のムードは、小学生だけで伝馬船を操縦して1時間くらい離れたエリアに釣りに行くことにも寛容であり、「事故がないように気を付けて行けよ」と言われるくらいで、何となく大らかな部分があったのだ。子供たちも日ごろから船の操船は行っており、ある程度の信頼感があったのだろう。

彼は、地元の学区内の小学校、中学校に通った。何かに熱中することもなく学業の成績も中の上で、身体能力も目立たない存在だった。

農作業や海苔の養殖の手伝いをするのは当たり前だったが、自主的に手伝いをしようという気持ちはない甘えた少年だった。それを言い訳に部活に打ち込むこともなく、帰宅部だった。自由に遊べない家庭環境に不満を持ち、不公平な現実に納得できないままでいた。

彼の家の生活は質素で、服装も作業着が当たり前で、食事も外食などの経験はなく家で作る野菜中心の食事だった。デパートに行くのは敷居が高く、別世界のように感じていた。

しかし、早朝から夜遅くまで汗まみれで農作業に従事する両親の姿は常に一貫性があり強烈で、我が家の生活を支えており、お陰で自分は生活できているとリスペクトしていた。

高校は、市内中心部の共学の高校に進むことになった。当時の地区の公立高校では2番手で、現在は移転して当時の面影は残っていない。

街中で繁華街に近く、入学時の成績から卒業時の成績がダウンするという、良からぬ伝統的な校風の中で3年間を過ごした。

そんな中で、彼にも自分を変えたい欲求が芽生え、部活にバドミントンを選び熱心に取り組み始めた。元々身体能力が平均以下のため、想像以上に激しい練習についていくのが大変だったが、仲間と一生懸命に取り組んでいた。

ある時顧問の先生が彼の健康状態の異常を感じ脈拍を調べると異常値で、すぐに病院で検査するように指示された。

かかりつけの医院では極度の貧血との診断で、激しい運動を禁じられた。朝起きる時もすぐに立ち上がらずベッドで上半身だけ起きた後、呼吸を整えて立つように言われた。

1か月以上通院して血管注射を受け続けていた。この影響で早々に部活を断念してしまったのだ。このように、自己の価値観の確立はできず、自己肯定感が低く、不完全燃焼の思春期であった。唯一良かったことは、生涯の友人に出会えたことである。

彼は、自分の家庭環境や生活習慣が友人たちと大きくズレており、金銭感覚も質素が当たり前で、お金を使うことに後ろめたさを感じていた。毎月小遣いをもらう習慣はなく、必要な時にその都度最低額を支給されていた。

小学校4年から2年間新聞配達のアルバイトをした。勿論、初めてのアルバイトである。近所の同級生が始めたのがきっかけで、負けたくないと思って始めたのだ。

雨の日も雪の日も一生懸命に早起きを続けた。人生で初めて働くことへの充実感や満足感を感じた時期である。

彼の価値観は、この幼少期から高校生までの生活環境がベースになっている。彼には両親の仕事を引き継ぐ自信や自覚はなく、逆に別の生き方を真剣に考えることもしない、自立心がなく不平不満の感情の中で暮らした優柔不断な時期であったと言える。