【前回記事を読む】「ショーヘイ・オオタニ!」歓声響く球場で、祖父と孫が「夢の決勝戦」を見届けた夜

第1章 二つの決勝戦〜WBCと甲子園 二〇二三年

三月二十一日、WBC決勝戦

諭の母のぞみは、大谷の人間性を含めた活躍に我が息子を見るように、熱い視線を注ぐ。テレビやネットで観戦しながら「翔平日記」をしたためている。そのさわりを覗いてみよう。

・二〇二四年四月、ドジャースに移った大谷翔平が日本人ホームラン記録の金字塔ゴジラ松井秀喜超えの一七六号本塁打を放つ。「ゴジラ」のテーマソングが球場に流れていた

・七月、オールスターでスリーラン・ホームラン

・八月二十四日、「そんな、まさか! 歴史的瞬間!」。大谷が九回裏二死で満塁サヨナラホームラン。四十本塁打と四十盗塁を史上初めて同時に達成

・九月二十日。ドジャース対マーリンズ戦。舞台はWBCと同じローンデポ・パーク。三連続ホームランを含む六打数六安打、十打点、二盗塁。前人未到の五十本塁打と五十盗塁を超えた。(年末に二〇二四年の新語・流行語大賞トップテンに「50‐50」が選ばれる)。大谷が切望していたポストシーズン進出決定

・九月三十日、レギュラーシーズン最終戦。五十四本塁打、百三十打点はリーグトップ、打率も三割一分、わずか四厘差の二位。三冠王に肉薄

・十月、念願のポストシーズン。対パドレスの緒戦にスリーランを放ち、両手を振りあげベースを回ってチームを鼓舞する。WBCのシーンがフラッシュバックした。メッツ戦でもスリーランの翌日、先頭打者本塁打。

ワールドシリーズではヤンキースを相手に第二戦で左肩を脱臼しながらも「世界一」に大きく貢献。子どものころからの夢が叶う。

・十一月二十二日、満票で三度目のMVP選出。DH(指名打者)専念では初、両リーグ獲得は二人目。二〇二六年WBC、二〇二八年ロス五輪では、二刀流で金メダル獲得とMVP選出に光り輝くはず。

大谷劇場はフィナーレに向けて誰も予知しない結末を用意していた。漫画を超えるドラマの数々。大谷はやはり光が似合う。もちろん二〇二三年のWBC決勝戦を観戦中の諭たちにはまだ知る由もない、ちょっと未来の話だが。

場面は再び大谷による魔球で劇的幕切れが訪れた、WBC決勝戦のマイアミの球場に戻る。あまりの出来事にフリーズしていた諭や観客の間でビックリマーク付きの日本語の感嘆詞が飛び交う。「やったー!」「最高!」。

ときおり塗り絵に没頭したり、スマホで恐竜の動画を見たり余念がなかった悠真も、このときばかりはメガホンを振って大騒ぎ。すっかり仲良しになったくだんのアメリカ人夫妻がハイタッチに応じてくれる。

十四年ぶり三度目の優勝。この優勝を目前にするまで、諭は過去に何度か侍ジャパン観戦に挑戦していたのだが叶わず、彼にとっては、ある意味リベンジ・マッチでもあった。

二〇二〇年東京五輪。父・胖と生後間もない悠真の三代で侍ジャパン観戦を目論み、野球の準決勝と決勝戦のチケットを抽選で引き当てた。あにはからんや、歓喜の渦を消し去ったのが世界に猛威を振るった新型コロナウイルスだった。

感染症が蔓延するなか五輪は一年先延ばしとなり、二〇二一年も無観客だったので水泡に帰してしまう。もし観に行けたら歓喜の金メダルを目撃できるはずだった。かくして江戸の仇をマイアミで討つことになる。