シニア世代のための「万葉集百人一首」
十六 お 794
大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に
泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも
いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも
思はぬ間に うちなびき 臥やしぬれ 言はむすべ
せむすべ知らに 石木をも 問ひ放け知らず
家ならば かたちはあらむを 恨めしき 妹の命の
我をばも いかにせよとか にほ鳥の
二人並び居 語らひし
心背きて 家離りいます
筑前国守山上憶良(つくしのみちのくちのかみやまのうへのおくら)
訳 大君の遠く離れた政庁だからと、筑紫の国に泣く子のように無理矢理付いてきて、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間に亡くなられてしまわれたのでどう言って良いかどうしてよいか手立ても解らず、せめて庭の岩や木に問いかけて慰めようとするが、それもできず、途方に暮れるばかりだ。
あのまま奈良の家に居たならば無事でいられたろうに、恨めしい妻は、私にどうせよというのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、私を置いて行ってしまった
【注】1 山上憶良が大伴旅人に奉った歌
【注】2 しらぬひ=「筑紫」の枕詞
【注】3 慕ひ来まして=妻が私を慕ってついて来て
【注】4 いまだあらねば=いくらも経っていないのに
【注】5 臥やしぬれ=死んだことを婉曲にいう。ヌレはヌレバの意味
【注】6 家ならば=奈良の家にいたなら
【注】7 にほ鳥=「ふたり並び居」の譬え
【注】8 家離りいます=死んでしまったことをいう
十七 お 965
おほならば かもかもせむを 畏みと
振りたき袖を 忍びてあるかも
遊行女婦(うかれめ)・児島(こしま)
訳 あなた様が普通の方だったら、どうとでもいたしましょうが、恐れ多くて、袖を振りたいがこらえています
【注】1 遊行女婦・児島が帰京する大伴旅人を送る宴席で作った歌。遊行女婦は貴人に侍した教養のある遊女のこと
【注】2 おほならば=平凡な人だったら
【注】3 かもかもせむを=あれこれ思いのままにしようが。かもかも=かもかくも=どのようにも、とにもかくにも
【注】4 畏み=旅人卿が高貴なお方なので慎しく遠慮する気持ちを表す
【注】5 振りたき=振りたい袖なのにこらえている
十八 か 3415
上野 伊香保の沼に 植ゑ小水葱
かく恋ひむとや 種求めけむ
作者未詳
訳 上野の伊香保の沼に植えられたかわいい小水葱、そんな子にこんなにも恋焦がれようと種を求めたのかな
【注】1 上野(かみつけ)=群馬県
【注】2 伊香保の沼=榛名山麓地帯の湿地
【注】3 植ゑ子水葱=栽培された水あおい。女の譬え
【注】4 種求む=言い寄ったことを譬えるか