午後五時頃韓国人通訳朴へ連名の感謝状を呈出し出発した。

ペトロパブロフスクに出てシベリヤ鉄道本線に入ると列車は俄然速度を上げ木造車ではこわれてしまわないかと思われる程、それに発車の際の乱暴な事、碗のスープが全部こぼれてしまう事すらある。機関手は豚の輸送位にしか考えて居らぬのだろう。

総輸送指揮官は軍医上級大尉で五尺七、八寸の眼光鋭い癇癪持ちで、停車時、事毎に夜の隙間風に悩まされて坐骨神経痛になった爺さんドクターフェルチェンクウに当るのである。

初めは弁解するが怒鳴られると爺さん段々と後退りして穴熊の様に「はいはい」と返事はし乍ら車内の彼の席にもぐり込んでしまうのである。颱風一過すると爺さんは保達を呼び穴の中から

「私は二千人からの生命を預っている。あなた方は直接彼等の世話をしてやらなければならない。あなた方の仕事は港迄なのだ。私は又帰り報告し又附添って行かなければならない。もう少しの我慢だ、一心に働いて貰い度い」。

マリアは毎食時炊事車へ行き檢食し、車内に草を敷かせる。

彼女の夫は反スターリン派として検挙され流刑されたが未だ行方が知れず、故郷ウラジオストックを離れハバロフスクに来た彼女は夫がカザフ方面に居るらしいと聞込み、看護婦となってカラカンダへ移ったが、夫は見当らず止むを得ず再婚はしたものの息子にとがめられ、今の夫とは別居していると、六病棟へ巡察に来た時涙ぐんで話した事がある。

彼女は又野田軍医が薬調合を誤り病人を錯乱させ重営倉へ入られた時秘かにパン、バターを差入れた逸話の持主でもある。齡の頃は四十前後小しわの多いマリアではあるが、歌手になろうとしたと自身言う丈あって美しい声量を持ち、希むが儘に歌ってくれるソプラノに爺さん以下うっとりと聞入り、長い旅の徒然を忘れるのであった。

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