バスが来た。へんな虫のせいでバス待ちの時間があっという間に経った。乗り込んで、座席から暗いバス停に佇む白鳥さんに小さく手を振る。奇妙な虫と白鳥さんを残してバスが発車した。正体不明の虫の生態に興奮したせいで、すっかり酔いが覚めていた。

月子以外に乗客はいない。バスの窓ガラスに顔を近づけて外を見ると、靄がかかってしっとり濡れたまちは街灯や、看板の明かりや、信号や、たくさんの人工的な光を乱反射させていた。月子は声を出さずに「きれい」と呟いた。夜のバスは光の道をまっすぐに走っていった。

家に帰ってすぐソファに横になった。月子はスマホを開けた。写真は、暗い場所でフラッシュをして撮ったので、露出が大きく鮮明ではなかった。鮮明ではないことにほっとして、できるだけその奇妙な虫の指が触れないよう画像の隅っこをタッチした。

「今日はありがとうございました。写真送ります」

青虫のイラストのアイコンをポチッとつけ足す。アイコンの青虫はかわいいのに。白鳥さんからの既読がついたので、写真を削除した。

ただならぬものを見てしまったなあ。そう思いながらしばらく放心した。目を閉じるとやっぱりさっきの奇妙な虫が思い出された。あの変なたくさん付いた突起は何なんだろう。妙に気になる。

そもそも、虫の中でも長くて節があってムニュムニュ動く青虫系が一番嫌いなのに。ふと思いついて“青虫 突起”と入力して検索する。気持ちの悪い画像がいっぱい出てきた。思わず目を背ける。

出てきたのは、鶏皮の毛穴のぶつぶつ、鮭の皮のザラザラ、蓮の花托の画像。なにかの集合体を人はなぜか気持ち悪いと感じる。気持ち悪さが高じればそれは恐怖だ。

ぶつぶつ恐怖症――トラポフォビア。スクロールしていくと、五百以上の恐怖症が箇条書きにされたページが出てきた。そのリストはこの世に存在する全ての物象が恐怖の対象となりうることを物語っていた。

そういえば、高校生の時の女友達は、ハサミ、ペン、鉛筆、棒、指、そういった尖ったものを向けるとキャーキャー言って嫌がった。友人である月子たちはそれを面白がって時々からかった。

彼女はいつも半泣きになって、しまいには本当に怒り出した。それで友人関係が壊れることはなかったけれど、突起恐怖症というれっきとした心理的恐怖症だったのか。彼女は今どうしているだろう。

検索を「画像」にしてみる。あっ。ついに現われた。バス停で発見した虫と同じだ。月子は、気持ち悪さと正体を突き止めたい衝動が五分五分で、迷いながらついにはその画像をクリックした。

 

【前回の記事を読む】バス停まで送ってくれるという白鳥さん。歩道が狭く、互いの指が触れ合いそうになり…

【イチオシ連載】結婚してから35年、「愛」はなくとも「情」は生まれる

【注目記事】私だけが何も知らなかった…真実は辛すぎて部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた