鶸色のすみか

月子は、白鳥さんが洗面所で祈るように手を合わせていた光景を思い出した。

「自然も仕事も、人の都合なんて知っちゃいないからね……。日本に戻ってくるまでの間、月一回程度でいいので家の中の空気を入れ替えてもらいたいんです」

月子さんがそうしてくれたら、二年後、あの家でちゃんと暮らせる気がするのだとも言った。謝礼は先に渡したいと封筒を差し出した。

「お礼なんていらないです。ポスティングのついでにやりますから。それに、戻ってこられたら、ここでまた一緒に飲みましょ。奢ってくださいね」

そこまで言って、春の夜にハルジオンの道を白鳥さんと歩いたこと、青虫の背中にびっしりと付いた蜂の寄生虫を二人で見たことが思い出された。

月子は、すっかり見慣れた珊瑚色の壁を見つめながら、何かが張り付いたように体も口もうまく動かせなくなった。あの青虫みたいに。店全部がぼんやりとした暗さに包まれて水槽の中の魚たちが浮かび上がる。固く殻を閉じた貝も、水の底に石のように積み重なって動かない。いずれ食される小さな命はわずかに震えてているだけだ。

店長がオーダーを取りにきたので、白鳥さんは焼酎を月子はハイボールを注文した。時計を見ると八時を過ぎていた。何口か飲むとフワフワとして眠いような、それでいて何か話さないと気が収まらない心持ちになっていた。

「先月ね、お墓参りに行ったんです。母が亡くなって一年なんです」

母が亡くなったことを初めて他人(ひと)に喋った。