作中、役所を馘首された文三を要領のいい本田と比較してこき下ろす叔母(お勢の母)に対して、お勢が文三を擁護して「だけれども本田さんは学問はできないようだワ」と言う場面があります。

しかしお勢の母は「フム学問々々とお言いだけれども、立身出世すればこそ学問だ。居所立所にまごつくようじゃア、ちっとばかし書物が読めたッてねっからありがたみがない」と決めつけます。

要するに学校は立身出世に役立つから行くのであって、そこで何を学んだかはどうでもいいという、世間的な実用主義を示す発言ですね。

(第六回)

理由が何であれ、明治二〇年から二二年にかけて発表された日本近代文学の嚆矢(こうし)とも言うべきこの小説に具体的な学校名がないのは、二葉亭の次の二作品と比較すると際立った特徴なのです。

■女子の学習熱

『浮雲』で文三と恋仲になるお勢についても学校歴を見ておきましょう。お勢は文三より三歳下ですが、小学校に通いながら浄瑠璃の清元の稽古にも行っています。

ところが隣に引っ越してきた家族に二、三歳年長の娘がいて、その娘が芝の私塾に入学したので、ちょうど小学校を卒業したお勢もそこに行きたいと言い出し、実家を離れて二年間英学と漢学を学びます。

この「芝の私塾」は実在の学校を暗示しているのかも知れません。明治初期の東京・芝には水交女塾と恒徳女学校という、二校の女子塾もしくは女学校が存在していたからです。

お勢はやがて芝の私塾を退塾して戻ってくるのですが、実家でも文三から英語を教わるばかりか、やがて駿河台にも英語を習いに通うようになります。

この「駿河台」も具体的な学校もしくは塾の名称が挙げられていないのですが、もしかすると成立学舎のことかも知れません。明治一〇年以前から男子の英語学校として成立しており、明治二〇年には女子部もできています。

明治という新時代にあって、男性は職を得るために学校に通うわけですが、女性は結婚して家事や子育てに従事するという暗黙のルールに縛られていながらも、やはり教育を受けることに熱心だったのだと分かります。

【前回の記事を読む】ロシア語の実力に秀でていた二葉亭だが、卒業まであと少しの時点で退学してしまった