第一章 日本近代文学の出発点に存在した学校と学歴――東京大学卒の坪内逍遙と東京外国語学校中退の二葉亭四迷

第二節 二葉亭四迷

■哲也の学歴

高商は明治三五年に神戸にも高商ができたため東京高等商業学校と改称。そして大正九年(一九二〇年)に東京商科大学に昇格し、名実ともに大学となりました。第二次大戦後は一橋大学となって現在に至っています。

以上のように、本来は専門学校、つまり大学より下の位置づけだった高商は大正期に大学に昇格してしまうわけですが、専門学校がそれで消えたわけではありません。その点については後でまた触れることにしましょう。

話を『其面影』に戻します。哲也はすでに述べたように明治三一年か三二年に東京帝大法科大学を卒業したと考えられますから、中学卒業は明治二四年か二五年。葉村は哲也より一、二歳年下ですから、明治二五年から二七年頃に中学を卒業して高商に進み、予科と本科で合計四年間学んで実社会に出たのでしょう。

葉村は、勤務している会社の社長が欧米視察に行ったとき、随行して海外の様子を見て回ったので、それ以来海外通を気取っているという記述も出てきます。社長に同行して、当時としては貴重だった欧米旅行をしたわけですから、将来有望な社員と見られているのでしょう。

こういう人物が「高商卒」とされているのは、すでに実務社会で高商卒業生がエリート視されていた現実を写し出しています。