第一章 日本近代文学の出発点に存在した学校と学歴――東京大学卒の坪内逍遙と東京外国語学校中退の二葉亭四迷

第二節 二葉亭四迷

■哲也の学歴

哲也は先に述べたように帝国大学法科大学を明治三一年か三二年に卒業したと考えられます。この時代の法科大学の修業年限は四年ですから(法科大学の修業年限は明治二四年から大正三年までは四年、それ以前と以降は三年)、高校卒業は明治二七年か二八年ということになります。学校名が第一高等中学校から第一高等学校に改められた頃でしょう。

哲也は一高生であった途中で実家の経済事情が悪化し、それで小野家の婿養子となり、帝大卒業までの学資を出してもらい、やがて小野家の娘時子と結婚したのでした。私立大学の教員になったのも、官僚になるよりは時間的に余裕があり、これを利用すれば稼げるのではという考えからでした。

しかし義父の死後は経済状態が思わしくないのに贅沢をしたがる義母と妻の存在もあって、また学校の給料が期待ほどではないということもあり、金銭のやりくりに苦労しているのです。(二十一章)

「〔帝大の〕同期の卒業生で、しかも哲也より成績が悪かった者が、皆今は相当の地位にあり付いて、中には参事官もあれば、公使館何等かの書記官もあれば、銀行の取締役もあれば、会社の支配人もある。誰が見ても皆哲也よりはグッと立派に成っている」と哲也の義母と妻が話し合う場面も出てきます。(二十二章)