翌明治一八年に文部省に移管され、東京外国語学校を吸収合併し(このときに二葉亭が東京外国語学校を中退したわけです)、さらに翌年の明治一九年に旧外国語学校の部分は廃止されるのです。

そして明治二〇年(一八八七年)にこの東京商業学校は高等商業学校(東京は付きません。高等商業学校はこの時点では全国に一校しかなかったからです)と改称します。このとき、中学卒業後、予科一年と本科三年の合計四年間の修業期間を有する学校となりました。

高商は明治の学校体系の中で専門学校という位置づけでした。専門学校が中学卒業後に進む学校という点で高等学校と同じながら、帝大進学に直結している高校とは違って卒業後は実社会に出るための学校だったという事情は先に説明しました。ただし高商は予科一年を加えている点で、その後作られる三年制の専門学校とも異なっていました。

さて、当初は合計四年の修業年限を有していた高商は、やがて本科卒業後にさらに学ぶための専攻科を設置します。専攻科は初めは一年制でしたが、やがて二年制に延長されたため、明治三四年(一九〇一年)から高商専攻科を修了した学生には「商業学士」の称号が与えられるようになります。学士ですから帝大卒業生と同格ということになりますね。

これは、専攻科で二年間学ぶと、予科一年、本科三年と合わせて合計六年間の修業年限なので、中学卒業後に高校で三年、帝大で三年学ぶのと同じと見なされたためです(この時代の帝大は医科と法科が四年制でそれ以外は三年制)。

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