以上のように、哲也の学歴は二〇年近く前に書かれた『浮雲』に比べると非常にはっきりと記述されています。それは日本の学校制度がこの間に徐々に固まってきて、学校の序列や学歴の意味が明確になってきていたという事情からであろうと推測されるのです。

■葉村の学歴

『其面影』では哲也以外の主要人物の学歴はどう書かれているでしょうか。まず、葉村幸三郎を見てみましょう。

葉村は、『浮雲』の本田昇と似たタイプで、実社会で如才なく生きて出世する人間として描かれています。高商出身で、哲也より一、二歳下、同郷で中学までは同窓と言われていますから、哲也と同じ地方の中学に通い、卒業後は上京して「高商」を出たわけです。

高商とは、高等商業学校のことです。二葉亭四迷が東京外国語学校中退であることはすでに書きました。中退したのは外国語学校が東京商業学校に吸収されて消えてしまうのに我慢がならなかったからという説があることにも触れました。この東京商業学校がやがて高等商業学校となるのです。

ここで簡単に高商の歴史をたどっておきましょう。明治八年(一八七五年)、森有礼によって商法講習所として設立されました。「商法講習所」という名称からすると、学校とは名のっていないし何となく手軽な教育施設のような感じがしますが、実際には米国人の教師を複数採用し、授業はすべて英語で行うという本格派だったのです。

この点について『一橋五十年史』は、森有礼が公使として米国に駐在した際に米国が強大なのは実業界に有為の人材が多いからだと痛感したこと、農工業、そして特に商業の教育をなおざりにしている明治日本の実情を憂い、「しかし我が政府においてはいまだ商業教育に対して蒙昧(もうまい)であっ」たので、私財を投じて商業学校を設立せんとした、と述べています。

森有礼の作った商法講習所は翌明治九年東京府に移管、さらに明治一七年(一八八四年)に農商務省に移管されて東京商業学校と改称します。